沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート②

神久 翔

最終日は夜中の3時までしゅうさく君たちと遊んでいたので、朝またもや寝坊してしまいました。怒られると思ったけど寝坊はダメなことだけど、交流で遊んで寝坊なら交流しなくて起きるよりいいと言ってくださったのでよかったです。
 琉球の館で紅型染めの体験ではシーサーを選びました。服にインクがつくと落ちないと言われたのできんちょうしました。でも、服をよごさなくてよかったです。細かいところなのがあって難しかったです。早く完成したものが見たくてとても楽しみです。
 次に海軍基地に行きました。上の方の人たちが手榴弾で自殺するために使った部屋に、当時のままのその部屋の傷跡があったり、とても大きい船のやまとの模型があって、この船はとても強いけど空からの攻撃には弱くて、普通は守る飛行機があるのになくて、そのせいで中の人がほとんど死んだと聞いて、しっかり守って戦うこともできないくらい負けていたのかなと思いました。ほかにもせまい部屋で立ちながら休けいしたなんて、いやだなと思いました。
 最後の沖縄のご飯はアメリカ基地の中にあるレストランで食べました。ハンバーガーを食べて、とっても大きくてビックリしました。でもとってもおいしかったし、アメリカの基地の中のレストランで食べさせてくれた神谷さんには感謝します。
 四日間の沖縄研修では戦争の傷跡がいろんなところにあったり嘉手空軍基地の回りを飛んでいた戦闘機のうるささなどが心に残っています。
 一番心に残ったことが二つあります。一つは平和祈念公園にあった戦争で傷ついた人の写真が心に残りました。一枚の写真だけでも戦争の怖さと非さんさがわかりとても怖かったです。もう一つは糸満の子と一緒に遊んだりご飯を食べたりしたことです。その中でもドッジボールをしたのが一番楽しかったです。
 四日間、怒られたり遊んだり学んだりしてとても良い体験になりました。沖縄で学んだことは、同級生や後はいにしっかり伝えたいです。とっても楽しかったです。

<保護者より>

 25日AM4:30集合。私も翔も起きられなかったらどうしようという不安で寝られませんでした。そんな感じでの出発でした。思った通り、飛行機に乗れて安心したかのように寝てしまったようでした。もったいないと思いましたが、翔らしいとも思いました。その後の活動が有意義にしてほしいと思いました。
 が、初日では石川県の人達,今帰仁村の人達の交流では積極的に行動出来なかったらしく反省した様子でした。バーベキューをしてもらったり、踊りを披露してくれたり、たくさんのおもてなしにこたえられず残念です。でもきっと心の中には残っていると信じています。
 まだ調子がのってくるのに遅いメンバーなんでしょうか?男子5人一緒の朝寝坊にはびっくりです。引率してくださった方々に申し訳ない気持ちになりました。スミマセンでした。
 水族館では、とても大きな水槽にジンベイザメや大きなマンタの迫力がよかった様です。帰りに着ていたみんなで一緒に買ったTシャツもうれしかったようでセンスがいいでしょって自慢していました。
 首里城では、神谷さんの説明がすごく分かりやすくてよかったと感動していました。その言葉を聞いて、少し安心しました。なぜかというと家ではあまり人の話を聞いているか分からない感じなので・・・。神谷さんの説明も中学生に分かりやすくて上手だと思いますが、やはり聞く体勢でないと入ってこないと思うので、私も聞きたいと思う程でした。
 平和祈念公園,資料館での事は家で話す事もなかったのですが、作文を読むと心の奥にまで印象に残っている様です。戦争の事を勉強しに行くんだ、遊びに行くのとは違うというのを前提だったので、本人も意識が違った様でした。
 やっと調子が乗ってきたかな、作文もなれて書ける様になってきたかなっていう所で最終日に入ってしまった様な感じですね。出来上がったシーサーが来るのが楽しみです。
 本当に今回の事業はスケジュールがいっぱいで、学ぶ時遊ぶ時の内容がこくて、本人もついていくのにいっぱいいっぱいだったかと思います。
 でもどの場面でも、群馬では食べられない物をたくさん食べてきたようで、どの日にもおいしかったってありました。おいしい物が大好きな翔は大喜びです。
 今回引率していただいた小出さん,須賀さん,梨乃ちゃん,齋藤さん,亀井さんにはとってもお世話になりました。一緒に参加した8名のメンバーにも感謝です。
 これからも一緒に活動して行けるこい仲間でいられる事を願います。
 貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。

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