第3回 ドイツ・ニュルンベルク市スポーツクラブ国際交流派遣事業報告

引率指導者  小出利一

【はじめに】

  今回で第3回となったニュルンベルク市訪問は、プログラムも充実し派遣団員も8名となっていよいよ発展してきました。今年のドイツは、前回と打って変わって「冷夏」でしたが、この国際交流事業に最後まで元気に活動できた団員たちにとっては「熱いドイツ交流」になったと思います。

  派遣団員たちが最後まで元気でいられた最大の要因は、ドイツの温かい受入家庭にあり、ここに深く感謝いたします。派遣団員の感想文と一緒に指導者として感じたことを報告いたします。

【日本を知らない日本の子どもたち】

  今回の訪問は、今までで最も長く12日間(活動日は実質11日間)ニュルンベルク市に滞在しました。そのプログラムは、多岐となっていました。

  最も印象に残ったことは、「平和」をテーマにしたプログラムが2つあったことです。1つは、前回から加わった「ナチスドイツの歴史」を加害者側の立場で展示している「ドキュメント・ミュージアム」の見学と2つ目は、今回初めて8月6日の広島デーに参加したことです。

  ここで、私が愕然としたことは、今回参加した高校生たちは広島と長崎の原爆の悲劇の実態をまったく知らないということです。幸い、参加者の中で沖縄の悲惨な現状を沖縄派遣事業で知った団員はしましたが、核爆弾による人類最大の悲劇で世界唯一の被爆国として、このことがしっかりと教育されていない実態に直面させられました。

  ドイツ派遣事業を前に、「日本のことを知って説明ができて初めて国際交流が始まる。」と私から話をしましたが、あまりにも基本的なことが学習できていない実態が浮き彫りになりました。これは、今回の派遣団員だけではなく、広く一般的に言えることだと思います。保護者の皆さんも1度考えて見てください。日本の歴史と日本のことをどれだけ知っていて、外国の人に説明ができるのかを・・。ニュルンベルク市の受入で活躍した17歳から19歳の青少年の多くが、ナチスドイツの歴史をドイツ歴史上の汚点として雄弁に説明している姿とは、あまりに対照的でした。参加した脇 碧惟さんは、「同じ年のテレサは、本当に良く知っていてわかりやすく説明してくれた。私たちは、こんなにわかりやすく説明できないし知らない。これが、自分の国や町を知っているということだと感じて反省した。」と直後に語っていました。

  自国の歴史も文化説明できない青少年を私たち大人が育ててしまったと強く反省させられました。まずは、保護者の皆さんがどれだけ、外国の人に日本の歴史、群馬の歴史、新町の歴史を説明できるのかを考えてください。

【ニュルンベルク市も青少年が主体になった運営に】

  昨年、新町から帰る時にドリスさんとミハエルさんが「新町の青少年中心のプログラム運営を参考にさせてもらいます。来年を楽しみにしていてください。」と私に伝えていました。そのことを、実感できた運営体制でした。

  山形と新町が合同で活動している時は、カトリーンさんとテレサさんを中心に新町単独になってからは、テレサさん、リーケさんとルンジャさんを中心に活動していることが私から見ていても理解できました。新町方式が初めてニュルンベルク市に影響を与えた出来事です。新町のリーダーのみなさんは、このことを誇りに思ってください。

【驚きと成長の活動】

  派遣された団員たちは、11日間に大きく成長しました。私が一番驚いたことは、大嶋祥子さんの挑戦しようとする意欲と頑張りでした。スポーツプログラムは、日本で言う「インシアティブゲーム」で高さ10mを安全ロープと仲間を信頼して登って、ロープと仲間だけを頼りに空中を綱渡りするという高所恐怖症の私には絶対にできないことを、普段はおとなしい祥子が自ら挑戦して、実行して、降りてきた時の感想が「怖かったけど、みんなが声で助けてくれてうれしかったし楽しかった」と笑顔が輝いていたことが印象的でした。

  それから、雅留の優しいキャラ、菜津美のおっちょこちょいキャラ、詩織のしっかりお姉さんキャラ、和未のおとぼけキャラがうまくかみ合って、脇姉妹が全体を纏め上げるすばらしい新町のチームワークでした。それに、必死についていこうと頑張る沼田から参加した山室君がいました。

その中でも、山形のさよならパーティーでの「ソーラン節カセット忘れ事件」が団員たちの最大のピンチになりました。私は、逆にこれが最大のチャンスと見て「自分たちの犯したミスは、自分たちで始末しろ」と冷たく突き放しました。カセットを忘れた和未の取った行動は実にすばらしく「本当にみんなごめんなさい。」と頭を下げて素直に誤っていました。しかし、与えられた時間の猶予はなく、脇姉妹と雅留の「みんなでなんとかしよう。絶対に何とかなる。」と相談して、カセットを忘れたことで音楽付きの踊りを見せられないことをみんなで謝り、その上で、「自分たちの声でソーランを踊る」というある意味、無謀な行動に出ました。しかし、これが大喝采、アンコールまで要求されてみんな笑顔で満足そうでした。失敗を成功に変えたことで、みんなが成長し一致団結できたことは、信頼して突き放して見守っていた私にとって、心からうれしく思えるシーンでした。また、音楽がなくても精一杯の誠意を見せようと努力している青少年を温かく励まして、支えてくれたニュルンベルクの人達に感謝の気持でいっぱいでした。

【まとめ】

  今回のニュルンベルク市訪問もみなさんのおかげで、無事に終了できました。これもニュルンベルク市のハイディさんとギュンターさんのご夫妻の指導力、ドリスさんとミハエルさんの精力的な行動力、温かいニュルンベルク市の受入家庭のみなさんのおかげです。また、第1回と第2回の交流派遣事業に参加した先輩団員のしっかりとした活動が高く評価されていることも今回の派遣団員の支えになっていました。

  私は、ニュルンベルク市に到着してギュンター夫妻とドリスさんのご両親を見ると故郷に帰ってきたようななんともいえない安心した気分になります。

  交流に参加した団員が一人でも多く、私と同じような感覚をニュルンベルク市に持てるように期待します。

8月4日、ニュルンベルク市・山形・新町の指導者で次回以降の計画について公式に打ち合わせを行い次回の山形・新町の受入れを2007年としてニュルンベルク市訪問を2008年と決定しました。

みなさんも、是非、ドイツ・ニュルンベルク市の人達との交流をみんなで一度は体験してください。本当に温かく、優しい人たちがたくさんいる、すばらしい街です。

最後に、ニュルンベルク市滞在期間中に通訳としてお世話になった、磯田さんとケン君とベニコさん助けていただいてありがとうござました。また、多額の費用にもかかわらず、この派遣事業に賛同して子どもたちを派遣させてくれた保護者の皆さん、ありがとうございました。そして、留守を守ってくれたSVCスポーツ少年団関係者全てのみなさんに感謝します。

本当にありがとうございました。

フィーレンダンク・ドイツ・ニュルンベルク市の友人達

【特に印象に残った言葉】

  「風を起こしたものは、必ず、自分が嵐にあう」

この言葉は、第2次世界大戦当時のドイツでの出来事を体験談として語ってくれた「エファー・ルスナー女史(87歳)」の言葉です。

戦争は、人の性格も生活も都市もすべて破壊する。なにもかも、壊すだけ。

悲しみと憎しみだけが残る、絶対に繰り返してはいけないこと。

そして、戦争体験者から直接、話を聞くことができる残された時間は、もう短い。だから、しっかりと聞いて伝えよう。戦争の醜さと愚かさを。

【今回、正式に訪問した都市】

@        ニュルンベルク市(受入都市・プログラム全般を実施)

A        フォルヒハイム市(米国の青少年との交流)

B        バンベルク市(旧市街地の世界遺産を見学)

C        ロスドルフ市(ビール工場見学)

D        クローナッハ市(古城のユースホステル宿泊・中世の要塞見学)

E        リヒテンフェルズ市(いかだの川下り)

F        フュルト市(広島平和デー参加・サヨナラパーティー)

【交流した外国の青少年】

@        ドイツ・ニュルンベルク市の青少年

A        アメリカ・オレゴン州の青少年

B        ルーマニアの青少年

C        トルコの青少年

【小出指導者が非公式に訪問した都市】

@        ヴュルツブルク市

A        エバマンシュタット市