ドイツ・バイエルン州ニュルンベルグ市への国際交流派遣

礒部 雅留

 英語は苦手だけど、一応4年間はやったのだから大丈夫!!始めは、そんな気持ちでドイツに行きました。しかし、ドイツに着いてすぐにいざ話さなければならなくなった時、自分の英語は伝わるだろうか、いや、伝わらないだろう。と話さなければならないのに、急に自分の英語に自信がなくなり話してもいないのに話せなくなってしまいました。

 このまま何1つも話せないまま1日目が終わってしまうのだろうか・・・と車窓から見えるニュルンベルグのとても綺麗な街並みを眺めていると、受け入れ先のお母さんが、英語で、ドイツに来るまでずっと飛行機に乗っていたから、疲れてないかい?と聞いてきました。その時、日本語を話すようにごく自然に、うん、結構疲れたし、少し眠い。と英語がでてきました。

 よく、このくらいの会話は、高校の英語の授業の始めに先生がこれでもかってほど聞いてきていたのですぐにでてきました。その一言英語が話せたというただそれだけで、自信が湧いてきて、どんどん言葉がでてきました。

 結局英語なんて、辞書さえ持っていて発音記号が読めるならば、あとは自分の意思を伝えようという努力と気の持ちようで、どうにかなってしまう。つまり、伝わるだろうか、じゃなくて伝えるんだ!!という気持ちが大事だってことに気づきました。これが、4年間英語の授業をあまりまじめに受けていなかった僕の意見です。

 ドイツは、日が長く夜の九時半頃に日が沈むこともあり、去年の日本での交流とは異なり、時間的にかなり遅くまでのプログラムもあったため、余計に時間的感覚がなくなるり、時計を24時間身に付けていないとおかしくなっていまうくらいドイツは時差と日の影響がありました。

 私が、ドイツに行って印象に残ったことがいくつかあります。その中で1番印象に残っているのが、ニュルンベルグ市の市長の歓迎会の後の自由行動です。

 その時に、来年ドイツで開かれるワールドカップの記念のサッカーボールの形をしたホールのような通称サッカーボールの地球儀というところを見学しました。そこには来年のワールドカップのトロフィーのようなものとベッカムのサッカーシューズなどが展示してありました。

その次にセイボンマリア教会という教会の中を見学しました。その教会の中には、海外の映画でしか見たことのないようなとても大きいパイプオルガンがあり、とても感動しました。

次に印象に残っているのが元ナチ党大会広場と資料センターの見学です。資料センターの中には、ヒトラーが犯した罪の証拠となる資料がたくさん展示されていました。

その中には、ユダヤ人を迫害するために、ユダヤ人と結婚してはいけない、ユダヤ人と話してはいけないなどという法を書いてある紙などが展示してあったり、ユダヤ人に穴を掘らせ穴が完成すると、射殺、そのまま掘らせた穴に突き落とし埋めた、つまり、自分の墓を作らされ、完成すると同時に射殺し、そこに埋められた。

他にも、障害者はお金がかかるという理由で障害者を集め一気に殺したりした。

 ナチ党にも、ヒトラーのやることを批判する人がたくさんいたらしく、ヒトラーの暗殺計画の資料も展示されていた。ヒトラー暗殺計画の数はあまり正確に覚えていないけど、確か百は超えていました。しかし、ヒトラーは悪運が強かったらしく、ぎりぎりのところでそれらの暗殺計画を回避したそうです。

 資料センターの中を一緒に見学していたドイツのホストファミリーの子がもうこのようなことは起きてほしくないと言っていました。私も、戦争や迫害などという争いは二度と繰り返してほしくないと思います。

 ドイツでは、このようなナチ党の資料センターみたいなところがたくさんあるそうです。

 他にも、ホストファミリーと一緒に料理を作ったり、ビール工場の見学をしたり、パルムビーチで遊んだり、ショッピングに行ったり、ビル三階ぐらいの高さのところで綱渡り、アトラクションをしたり、ニュルンベルグの刑事警察署を見学したりしました。

今回、わたしは、ドイツに行って、ドイツ人はコミュニケーションを大事にする人が多いと感じました。

私が買い物に行った時も、レジで、店員とお客とで、会話を楽しんでいるのをよく見かけました。日本の店員は、ただ「いらっしゃいませ。」「ありがとうございました。」しか言わないのに対し、ドイツの店員はお客といろいろ会話をしながら、仕事をしていて仕事を楽しんでいました。

 ドイツに行って改めて、コミュニケーションの大切さがわかった気がします。ドイツの人はとても人望があつい人がたくさんいました。それと、ドイツは家々がきっちりと並んでいて、とても綺麗でした。

 今度は、ドイツ語を自分で勉強し、プライベートで行きたいと思います。ほんとに、ドイツに行ってよかったです。