研 修 兼 交 流 記    小 出 智 一

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       − − ドイツ編 − −

      序 章(旅立ち)
      第1章(最初のドイツ訪問
      第2章(出会いと始まり)
      第3章(山形の人達との交流・・)
      第4章(7年ぶりの再会・ミュンヘンにて
      第5章 ローテンブルクへ(ホストファミリーデー1日目
      第6章(ニュルンベルクの奥地へ)
      第7章(楽しいサヨナラパーティー)
      最終章(始まりの終わり、そして別れ)
     ※ 外伝1(ドイツからオーストリア間の車内の出来事)果てしない大乱闘、車内大戦
     ※ 外伝2(さよなら クマさん)

      − − オーストリア編 − −

      第1章(新たなる出会い)
      第2章(全ては経験なり)
      第3章(ザルツブルク市内)
      第4章(さすが、ヨーロッパ)
      第5章(決死のラフティング・そして別れのバーベキュー)

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      最終章(Thank you Good-by ドイツとオーストリア!!)


序 章(旅立ち)[戻る]

 8/2(水)朝5時、家族に見送られて藤岡ICを高速バスで出発した。およそ3時間で成田空港に到着。いよいよ、僕達の国際交流研修が始まる。空港について直ぐにチェックイン、身軽になって買い物に鮎沢君(以降あゆちゃん)といっしょに行った。僕は、本を2冊買って戻ってみたら、先に戻ったはずのあゆちゃんがいない。これが最初のハプニングになった。
 5分、10分経っても来ないので、もしかしたら「南口」かもしれないと迎えに行ってみたら、まさしくそのとおりにいた。これで5人全員集合した。
 ドイツとオーストリアの人達との交流を楽しみに出発!


第1章(最初のドイツ訪問)[戻る]

 フランクフルト空港に着いた時、僕は「ドイツ」っていう感じがなかった。場慣れ ?、溶け込みきっていない ?、両方考えられたけれどこの際どうでもいい。迎えに来てくれた「ヘラベルトさん」に見送られてニュルンベルクへ向かう電車に乗った。しかし、駅がきれいだった。
 ゴミの一つぐらいと思ったけれど落ちていない気がする。ともかく、日本よりもきれいだ。
 電話ボックスも、ユニークな形をしていた。車内ではこれから会う人達に期待を膨らませながら、ドイツで初めての食事にありついた。水を頼んで出てきたのがシュワシュワと泡を立てる炭酸水だった。理科の実験に使われるアレである。ゴクンと一口。甘さのないソーダだ。
 しょっぱい(?)ような感じ。この時は、もう飲みたくないと思ったのに帰る頃には好きになっていた。ワカラナイモンである。慣れとは恐ろしい。アップルジュースも飲んだがどうも違うだよなぁ・・。何はともあれ、僕の頼んだ「パンケーキ」が出できた。日本の形だと思ったため「ハァー クレープか?」と思うようなものが出てきた。味も甘くないし・・。
 ところで、水は、ビン入りでコップが付いて来る。水を飲み終わったら1回で持って帰りたいという思いが出た。ビンに一目ボレかな。とにかく、英語で聞いてみた。ほどなくして、1本持ってきてくれ計2本を持って帰れた。


第2章(出会いと始まり)[戻る]

 ニュルンベルクの駅に着くと日本の国旗が動いていた。多分、いや絶対あそこだ。
 そこに行くとギュンターさん達が待っていた。「ああ、やっと来たんだなぁー」と思いつつ、ドリスさんにホストファミリーを紹介された。はじめはビビったが、とてもいい人達のようだ。
 写真と、その中に日本人が1人。佐藤泰恵(サトウ ヨシエ)といい山形の人のだそうだ。全員と握手をして、スーツケースを持ってもらってビックリ仰天。なんとホ父さん(ホストファミリーの父の事。ホ母さんもホストファミリーの母の事。)は片手で持っていった。これにはマジでビビった。なんとパワフルな・・。ちなみに家族は4人で、ホ父さん、ホ母さん、フランク、アンナという構成である。オマケに猫が1匹、雨の降りしきる中、家に到着。住宅密集地のようだ。ドアを開けるといきなりフランクが出できた。握手をして家に入ると3階建ての地下室、テラス付きだった。僕の部屋は、フランクと同じ部屋。入って直ぐに即席らしいベットがあった。ここが寝床らしい。ふと目をやるとレゴブロックが作られて置いてあり、FF等のポスターがはってある。「趣味が、僕と似ているなぁー」呼ばれて降りて行くとホ父さん自ら作ってくれたマカロニとチーズとなにかわからないものを混ぜたやつが置いてあって食べ方を教えてくれた。とても美味だった。その後、スパゲティーゲームなるものを楽しんだ。
 不意にフランクが「Do you play playstation?」といった。当然の如く「Yes I do」フランクはゲームをするつもりなのだ。行くとアンナも付いて来てパズルのゲームをやらせてくれた。簡単なレクチャーを受けフランクvsアンナをを見守った後、アンナがコントローラーを渡してくれた。やってみると日本でいう「ぷよぷよ」みたいなゲームで3つ揃えると消えるのだ。気が付くとホ母さんまでそばに来ていた。最初は2敗したものの次からは勝ち出して止まらなくなった。3人全員に勝ってしまった。ホ母さんに「ユー アー スペシャル プレイヤー」と言われた。さて、ドイツ初めての夜を楽しく過ごしてシャワーを浴びて寝ることにした。シャワーを浴びに行くと、赤1色・・。壁、床、カーテン、シャワー、全て、赤にはびっくりした。ともかくシャワーを浴びて速攻寝た。


第3章(山形の人達との交流・・)[戻る]

 8/3は、アンナの誕生日で朝早くからデカイケーキがテーブルにあった。「シー」と言われて、忍び足でアンナの部屋へ行って、寝ていたアンナに「ハッピバースデー トゥ ユー」と歌い始めた。プレゼントは、1000ピースのパズルだった。おそらく、ホ母さんの趣味だろう。朝食を済ませ、予定を聞いた。アレックス達と駅まで行くらしい。駅には、みんなすでに来ていて、ギュンターさんに光に反射する城のネックレスバージョンを首にかけてもらった。
 少し歩くと、ドイツらしい町並みが見えてきた。城などを見て周り、にぎやかなところに出た。ストリートミュージシャンが30m間隔で音を奏でていた。そして、いよいよ昼食。ここで初めて山形の人達と交流したと思う。まあ、それがよかったのだろう。僕なんか「見た感じ、木下だよねー」とか言われてアダ名が「キノッチ」になった。まぁーいっか。
 そこから和気あいあいとなった。その後は、博物館へ行き「なんだコレ」と思うようなものをたくさん見た。天才のすることはよくワカラン!。石がただ積み上げられたり、ネオンの棒がたくさん置いてあったり。ただ広い部屋に石がいくつもあるだけで意図があるのだろうがサッパリ、ワカラン!。それはともかく、珍しいものをたくさん見られたことには感謝。そして、家路につく。
 家では誕生パーティーなのか、ホ祖父さん、ホ祖母さん、そして、従兄弟まで来ていた。そこで出されたピザは手作りでとてもおいしかった。夜、またゲームをした。スケボーのゲームで、昨日のものよりずっと難しかった。それはさておき、明日に備えて就寝。


第4章(7年ぶりの再会・ミュンヘンにて)[戻る]

 写真この日は雨で白く息が出るほどメチャ×2寒かった。(それでもなぜか智一君は、半そで・ハーフパンツ)。今日は、ミュンヘンでミヒャエルとゲアートと会うはずの日だ。小雨のぱらつく中、僕達は出発した。途中、日独同時交流九州2ブロックの人達と一緒になったが、どうも愛想が悪い。結局話さなかった。ミュンヘンに着くとオリンピックパークに行った。どでかいサッカー場(ミュンヘンオリンピックスタジアム)があり、今夜、ドイツ代表チームが試合することになっていた。お次は、展望台。その前にミヒャエルとゲアートに会えた。相変わらず2人ともデカイ!!。いくら僕が大きくなっても2人には追いつけない。展望台に登るとミュンヘン市内が一望できた。雲がかかっていたが良く見えた。写真をアレックス、フランク、ケイイチくんと撮ってお昼。ミヒャエルの演説(?)が終わってお昼を食べた。ミヒャエルは、ババリアンスポーツ連盟(ミュンヘン周辺のスポーツ連盟)のえらい人になっていた。でも、僕にとっては、7年前にホテルで枕ぶつけをしたお兄さんだけど・・。ミヒャエルとは、ここでお別れとなった。短い間だったけれど、会えてうれしかった。来年、来ると言っていた。
 この後、新町と同じ大きさの宮殿行ったが、時間の都合でよく見ることができなかった。ザンネン。そして、すごくにぎやかなところに来た。とてつもなくデカイ、からくり時計があった。それを見ようと大勢の人間が・・。危うく迷子になるところだった。その後、「自由時間」と言われたても・・。恐ろしいぐらい人がいて、広い、どーしろってんだ!!。お父さんの後ろについていったのだが。僕としては、ガイドブックに載っていた「World of Music」という店に行きたかったので勇気を持って佳小里といっしょに行ってみた。そこで、CDを買った。やっぱり安い。700円ぐらいか。しかし、地下にあるために暑いのなんの。
 なんとか迷子にならずに、無事、からくり時計の所に集合して見学した。その後、夕食は有名なビアホール「ホフブロイハウス」へ。中学生がビアホールに行っても良いのか。でも、みんなで行くわけで・・。中は広く、バンドをやっている人達がいた。それに合わせた大合唱だった。とりあえず、席につき料理を待っていると、ほどなくして分厚いハムみたいなものが出てきた。えらくしょっぱかった。飲み物がないと食べられない。そうすると、セバスチャンがビールを進めてきた。ドイツは16歳から飲んでも良いのだ。でも、僕はまだ14歳、僕はどうしたらよいか悩んだが・・飲んでしまった。全部ではないが3口くらい飲んだ。ハマッタ。 (このビールは、アルコールがなくレモネードビアでした。) ミュンヘンから帰宅したのは、夜の11時を過ぎでいた。ドイツの夜は長い、暗くなるのが9時過ぎだから。今日は疲れたから寝る。


第5章 ローテンブルクへ(ホストファミリーデー1日目)[戻る]

 写真今日(8/5)は、ローテンブルクへフランク達と向かった。ローテンブルクは、古い建造物がたくさんあり、いろんなものを見た。行って直ぐに死刑台が見えた。絞首刑台らしい。口笛がやたら響くところなのか、すごい音が聞こえてきた。佳小里達の泊まっているホ父さんが口笛を吹いていた。それに心を打たれて練習した。手を加えて吹く方法の口笛は、帰る頃にはできるようになっていた。そこから少し歩くと馬車が行き交っているところに出た。旧市庁舎前の広場にはからくり時計を見ようとたくさんの人が来ていた。それを見た後、近くの塔へ昇った。すごい高さでらせん階段を昇るとさらに狭いところを昇ってやっと塔の上部に着いた。
 そこからの眺めは遠くまでよく見えてとてもきれいだった。フランクは足が痛いとのことでお休み。そこから降りて昼食。僕達は、ドイツのマクドナルドで食べた。ところで、ローテンブルクでは武器屋が多い。そして、高い。書き忘れがあった。お昼を食べる前に火吹きの芸を見た。これで生活しているらしい。日本では見たことがなかったのでちょっと感動した。
 その後、クリスマスショップにいった。中はすでにクリスマスでライトがあつかった。いろんなクリスマスグッズがあり、僕は絵を購入した。けっこう歩き回ったが楽しかった。
 家に戻ると今日はバーベキューらしくて、テラスに皿が並んでいた。ジュージューといい匂いが・・。出できたのはどでかいステーキで加えてポテトサラダがあった。ものすごくおいしかった。その夜、小貫さんと佳小里が打ち合わせと称して遊びに来た。ジグゾーパズルをした後で、ダンスの振付を考えたがまとまらない。ところが、地獄に仏とはこの事か。ホ母さんがリトルバードのレコードを持っていたのだ。あっけなくこれに決定した。


第6章(ニュルンベルクの奥地へ[戻る]

 今日は、うちの両親はいない。なぜならばトライアスロンに行くからだ。という訳で今日は佳小里達の泊まっているホストファミリーと一緒に行動した。ニュルンベルクでまだ行っていないところに行くらしい。そして、電車に乗って町の中心部へ行くとまたもデカイからくり時計があった。それを見届けてさらに歩くと、旧市庁舎が見えた。中に入ると美術館になっていた。ところが少し待って案内人らしい人が現れて別のところへ連れて行かれた。地下の階段を降りて行くと監獄になっていた。ひんやりしていて、まさに監獄って感じだった。いくつもの部屋を見て、拷問装置も見た。刑具も足かせも手かせも首かせも焼きを入れるコテもあった。
 案内の人が説明をしているけれど、ドイツ語だからなんのことだかわからない。外へ出ると陽の光がまぶしかった。お腹も減ったのでニュルンベルクオンリーのハンバーガーを食べた。パンの中にソーセージが3本入っていてすんごくうまかった。そして、いろんな所を見て周り、あるえらい人の家にいった。4階建ての家でその人は芸術家だったらしく様々な資料があった。版画をする道具もあった。その道具を使って版画を作っていた。一通り見学をさせてもらってアイスクリームを食べにいった。このアイスクリームがうまかった。


第7章(楽しいサヨナラパーティー)[戻る]

 この日は、気がつけばサヨナラパーティーだった。僕達はリトルバードをする。山形の人は花笠音頭だ。ゆっくりと花笠を見た後、僕たちの番になった。説明を小貫先輩がしようとすると僕のホ母さんが「音楽を流せばみんなわかるよ」と言った。流してみると確かに会場にいた人達みんなが踊り出した。これはスゴイ!!この曲はドイツではメジャーなのだ。みんな楽しそうに踊っていて、ものすごい盛上りだった。「あー楽しかった」踊りが終わった後もその勢いでにぎやかな会場になった。みんないっしょにいられる時を十分に楽しんだ。本当に楽しい一時だった。パーティーが終了して家に帰った。ドイツの家族といっしょにいられる最後の夜、自分の住んでいる町の紹介をしたりした。部屋に戻ってフランクといろいろと話をして「明日でドイツは終わりかー」と思いつつ就寝した。


最終章(始まりの終わり、そして別れ)[戻る]

 朝、目が覚めた時「ついにきたか」と思った。最終日だ。朝食を食べて、車に荷物を積んで駅に出発してしまった。駅に着くとすでに数人が来ていた。そこからの時間は短く感じるもので一気に全員が集ってしまった。「うわぁー 早いよー まだいたいよー」と思いつつ渋々ホームに向かった。いつ出発するのかわからない電車をバックに握手をしたり写真をとったりした。ホストファミリーの人とは当分会えないだろう。僕は、フランクと来年、新町で再会することを約束した。荷物も積まれてやむなく車内へ。泣きながら手を振った。「プシュー」とドアがしまった音がした。みんな声を出して泣いている。列車が走り出したがアレックスとセバスシャンがホームを走り出した。ホームが終わるまで走って見送ってくれた。
 いろいろな経験を与えてくれたドイツに別れを告げ、新たな出会いのためにオーストリアへ向かう。


 ※ 外伝1(ドイツからオーストリア間の車内の出来事)果てしない大乱闘、車内大戦[戻る]

 それは、ほんの少しのきっかけからだった。どこのドイツか知らないがステッカーを10歳くらいの少年に渡したのだ。ドイツのサッカー少年団の団員だった。そこでステッカーの張合いを始めた。当然車内なので大ヒンシュクもの。白い目で見られた。僕とあゆちゃんとケイイチ君は近くにいたものの被害は受けなかった。ついでに、僕はそいつらの写真をとった。しかし迷惑だったろうなぁー。キャーキャー叫び、ドタドタと走り、しかも2階建ての電車の2階だったから1階に響いていたはずだ。まぁー楽しかったけど。


 ※ 外伝2(さよなら クマさん)[戻る]

 悲劇は突然起きた。僕のクマの人形がミュンヘン駅で乗換えの時にホームと電車の間に落っこちたのだ。クマの人形はフランク家からのプレゼントだったから大ショック!!ケイイチ君が必死に取ろうとしてくれたけれどだめだった。お父さんは、「みんなの厄払いをしてくれたんだ。クマに感謝しよう。」といったけど。今、どうしているだろう。あのままか、多分、駅員に拾われているだろう。いや、それを祈る。

− − オーストリア編 − −

第1章(新たなる出会い)[戻る]

 出会いといっても僕とお父さんは、ここザルツブルクで泊まるところはスポーツクラブのホテルだ。できたてのホヤホヤらしく、エレベーター内に工具や電線があった。しかし、きれいで広い、しかも部屋から見える景色もいい。
 ザルツブルク滞在中の僕とお父さんは、あゆちゃんのホ父さんにいろいろとお世話になった。部屋に荷物を置いて直ぐに夕食へ。ウィーン風カツレツという有名な肉料理とデザートにバナナサンデー。両方うまかった。しかも、バナナサンデーは、写真よりもデカイ。
 その後で、あゆちゃんのホームスティーの家に言った。これがまた新築の家で庭が広く景色がきれい、しかもホ父さんのピアノ演奏がまたうまい。さすが、音楽の都!
 それから夜のザルツブルクへ出掛けた。ここでマリオネット劇場でモーツアルトのオペラを見学した。言葉がわからなくて退屈するかと思ったけれど、けっこうおもしろかった。
 夜のザルツブルクは、古城や教会がライトアップされてとてもきれいだった。さすが、世界文化遺産の町だ。


第2章(全ては経験なり)[戻る]

 今日は、いろいろな事をいろいろな所ですることになった。午前中は、予定通りスポーツ。
 今まで動く事がなくてムズムズしていたので一気に解消できた。最初はテニスをしていたが途中からバスケットをした。久しぶりに汗をかいてスッキリ。昼食はゴルフクラブでこれもおいしかった。続いて、ヘルブルン宮殿に。ここがこんな場所とは思いもしなかった。入る前に少し待たされた僕達は、ゲスト席なる中央の席に案内された。ガイドさんの話が終わった瞬間、イスの座っているところから水がっっっ!!。驚いて跳びあがった瞬間、今度は地面から水がっっっ!!。みんな大パニック。これが、水の宮殿といわれる由縁か。といっても僕は三本線のジャージでビニール製だったので不幸中の幸い。そんなに濡れなかった。その後の見学コースも油断をしていると突然、水のイタズラの繰り返し。みんな相当濡れたけれど楽しかった。そこで、僕は心に決めた。次に来る時は一緒にいるメンバーに教えないで濡れてもらおうと。なぜならば、ここは濡れるから楽しいのだ。その次は、山の上に登っていった。
 着いて見ると、そこは岩でできたオペラシアターだった。まさに、絶好のアスレチックだ。
 こんなもん、お茶の子さいさい。朝めし前で登れる。上に登ってみたら、意外と高く、落ちたら死ぬな。僕は、この場所がほしかった。
 その後、山形のメンバーと別れて新町のメンバーは、郊外の山頂へと向かった。山道をとてもスピードを出して100Kmを越えた時が怖かった。1265mの山頂からザルツブルク市街地が一望できた。とてもすずしくて気持ちが良くて景色がいい。たくさんの高山植物も咲いていて、野いちごがあった。クリスティーナさんが僕たちにその野いちごをとってくれたので食べてみた。グミみたいな食感で意外とおいしかった。この山頂で景色を見ながらの食事は最高だった。スープにラーメンみたいな麺とソーセージが入っているものだった。
 ホテルに帰った後で、お父さんと二人でバスに乗ってザルツブルク中央駅まで行ってみた。
 夕立のような雨の中だったけれど、冒険をしているような気分だった。カフェに入ってケーキを食べて、ローカル電車に乗ってスポーツホテルに無事に戻った。今日は、いろいろな経験ができた1日だったなぁーと思いつつ夢の中へ。


第3章(ザルツブルク市内)[戻る]

 今日はザルツブルク市長へ表敬訪問だ。会う場所が宮殿の広間で有名な結婚式場だそうだ。
 本当にきれいで広いところだった。ここで、ザルツブルク市長からモーツアルトチョコとバッチをプレゼントされた。市庁舎がミラベル宮殿という宮殿なので、外に行くときれいな庭園が広がっていた。そこから市内へみんなで歩いていった。ストリートミュージシャンがたくさんいる。ニュルンベルクもそうだったけれどクラシック音楽をストリートミュージシャンが演奏している。広場ではチェスをしているではないか。盤は地面である。駒はおそらく石で重そうだった。これは、日本にはない光景だった。昼食を市場の屋台でソーセージをみんなで食べて自由時間。あゆちゃんとケイイチ君と3人でショッピングをしたりカフェで休んだり、楽しかったけれどやたら人が多かったので歩く事がたいへんだった。でも、全員無事にモーツアルトの生家の前に集合した。
 その後、あゆちゃんオーストリアパパとイエリスさんと新町のメンバーは大きなショッピングセンターにつれて行ってもらった。どこになにがあるのか探すのに一苦労。20分くらい掛けて一回りしたのだ。この中で、目当ての物がよく見つかったものだと自分に感心するぐらい広いところだった。その後、ウンタースベルクという山のふもとのレストランで夕食だった。ここで、あゆちゃんオーストリアパパのマジックショーとなった。これがおもしろく、うまい、本当に人を楽しませることがうまい人だ。それに、ドイツでもオーストリアでも食事をほとんど外で食べる。こんなことも日本ではできないことだと感じた。この日は、あゆちゃんの誕生日前日ということで、ザルツブルク独特のケーキが食事の後に出てきた。これがまたデカイ。この演出も突然、あゆちゃんを喜ばせるようになっていた。今日もいろんな意味で楽しくて勉強になった1日だった。


第4章(さすが、ヨーロッパ)[戻る]

 写真今日は、サウンド オブ ミュージックの舞台のところでここも世界文化遺産になっている「ザルツカンマーグート」というとても景色のきれいなところに行く事になっていた。
 シャーフベルク山の山頂(1783m)まで小さなアブト式SLに乗っていった。そこから見える景色は、サウンド オブ ミュージックもアルプスの少女ハイジも居そうな景色だった。どこから見てもどこを見ても絶景、下に見えるたくさんの湖の色も空の色もみんなすばらしいとしか言いようのない景色だ。しかし、後は断崖絶壁だった。登ってくる車中でケイイチ君たちとアニメの討論をしながらきたのもハイジがもとだった。ともかく、この景色こそがヨーロッパと言いたい眺めだった。昼食は、1783mの高さで食べるスパゲティーだ。
 山頂から降りる列車の中では、なぜか怖い話となった。その後、船でキルゲンという町まで移動した。僕は、船の甲板からずっと景色を眺めていたが、ともかくきれいだった。そして、湖の水がきれいでそこで遊んでいるひとたちがうらやましかった。ここは、景色そのものが世界文化遺産となっているそうだけど、いつまでもこのきれいな景色があることを祈ってしまうくらいすばらしい景色だった。オーストリアに来てから毎日のようにすばらしい景色を見ている。心がきれいになるような気持ちがする。
 今日の夜は、あゆちゃんの誕生日なので僕達はあゆちゃんオーストリアパパに招待された。
 最初に来た時に寄らせてもらったけれど、改めて行って見て、どキモを抜かれた。庭は広いし、犬・うさぎ・亀・ネズミといる。しかも3家族がつながっていていっしょに庭を使っている。だから、今日のガーデンパーティーも3家族いっしょに開いてくれた。すごい肉、魚、サラダ、パン、フランクフルトものすごい量の料理が出てきた。しかも、すべてうまい。主役のあゆちゃんよりも僕のほうがたくさん食べていた。たくさん食べて、広い庭であゆちゃんオーストリアファミリーの子どもと近所の子どもといっしょに遊んだ。庭がつながっているから他人の家の敷地の中でもどんどん入っていく、しかも裸足で。日本では見られない光景だろうなぁー。その庭から午後9時半頃夕日が見えた。良いところだ。うらやましさと日本との違いがわかった。お金をたくさん使ったプレゼントよりもみんなが心から祝ってくれる誕生日の良さを知った。そして、あの夕日は忘れられない。


第5章(決死のラフティング・そして別れのバーベキュー)[戻る]

 この日は、山形の人達と別れる日だった。別れのつらい時が来る。でも、その前に今日はラフティング、激流下りだ。初体験で緊張した。加えて川の水が冷たすぎて痛いほどだった。右往左往しながら3Kmぐらい下って行くと今度はボートから降りた。山道を登って行く。何をするんだろうと思ったら、高さおよそ5mくらいの岩から川へダイビングをするのだ。怖いようなおもしろいような。ともかく、あの時の感覚は忘れられない。再度ボートに乗っておよそ5Kmくらい下って終わった。危険だけれども楽しかった。
 その日は、ザルツブルク市内のビアホールで1リットルものレモネードビアを飲んだ。ビールのような感じだったけれどアルコールは入っていなかった。
 夜7時、オーストリア最後の夕食はザルツァッハ川の中州でバーベキューだった。山形の人達ともオーストリアの同じ世代の人達ともお別れの夜だった。中州に行くには川を渡って行くのだけれども超冷たい水の中にまた入るのだ。でも、その場所に楽しい仲間が来ていた。
 バーベキューは夜遅くまで続いたけれど、僕達は9時ごろ帰らなければならなかった。最後の夜なのでいろいろな話を山形の人達とした。お互いに感謝の気持ちを込めてお礼を言った。本当に楽しい仲間になった。みんなと別れる事は、涙が出るほどつらかったけれど時間が来てしまい、超冷たい川の水に入りながら写真を撮りながら別れた。山形の人達には
「またなぁー」とお互いに声を掛けて別れた。

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最終章(Thank you Good-by ドイツとオーストリア!!)[戻る]

 午前8時、ザルツブルクのスポーツホテルから見る最後の景色を見ながら朝食を済ませた。
 午前10時36分発の電車でミュンヘンに戻る。ミステルベルガーさん(あゆちゃんオーストリアパパ)たちに見送られてドイツへと向かった。毎日見てきたすばらしい景色を見ながら久しぶりに新町のメンバーだけになった。やっぱり、さびしい。他のメンバーも同じ思いだった。ミュンヘンからドイツの新幹線(ICE)に乗って昼食は食堂車、初めてのドイツでの昼食も同じ車内で同じ場所に座ったことを思い出した。これから旅が始まるのならうれしいのだけれど終わりに近づいていることが寂しい。
 予定通り最初に電車に乗ったフランクフルト空港駅に着いた。そこには、ドイツスポーツ連盟の高橋範子さんが迎えに来てくれていた。この人のおかげで今回の交流ができたことを知って感謝した。しかも高橋さんの車でスーツケースをヘッセンスポーツホテルまで持って行ってもらった。ホテルに到着後、電車でフランクフルト市内に出掛けた。お父さんは3回目なのでここは現地の人がいなくても案内してもらえた。有名なレーマ広場でおみやげを買ったりパフェーを食べたりした。そのパフェーであゆちゃんの食べたパフェーがあまりにでかくてみんなから注目された。その後、僕も帽子を買ってかぶっていたらやっぱり道行く人達の注目を集めていた。
 その後、ドイツ最後の夕食をステーキハウスで食べたが、どうも一度来た事がある気がしてならない。どうも不思議だ。それは、ともかく七面鳥の肉はうまかった。豚肉・牛肉・鹿の肉といろいろな肉をこの研修で食べた。フランクフルト中央駅に戻るのに路面電車にタダで乗ってしまった。でも、ちゃんと話たけれど、相手がタダでOKにしてくれた。
 ドイツ最後の夜をトランプしたり、あゆちゃんや小貫さんと朝方4時ごろまで語り合った。
 本当に約2週間だったのか。というような研修旅行で、いろんな経験と知識を得ることができた。もう一度行きたい!そんな気持ちになれたから良かった。
 フランクたちと来年、新町で会える日を楽しみにしている。今度は、僕達が楽しませる番だから。
 終わりに、ドイツとオーストリアのホストファミリーのみなさん、そしてこの研修のために尽力してくださったすべての人に心から感謝もうしあげます。

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