2011年ドイツ引率指導者感想文①

小 出 利 一

7月31日早朝の地震で、ドイツへ派遣される団員全員が成田空港近くのホテルで目覚めました。東日本大震災が起きたために新町単独になった今回のニュルンベルク市訪問の特別な夏が今年を象徴する地震で始まりました。
 今回の訪問は、ベルリン訪問と国会議員と面会もある特別な訪問になっています。
派遣団員は、女子7人・男子3人と初めて派遣団員が10人になりました。指導者も小島千佳を加えて初の2人体制としました。
 団員全員の顔が笑顔になっています。これは、今から始まる新しい自分達の旅を期待している笑顔だと感じました。青少年は経験をしたことがないドイツ・ニュルンベルク市での生活で何を学び、日本の良さ、ニュルンベルク市の良さを一体いくつ感じてくれるのか? 8月12日の帰国時にどんな成長を見せてくれるのかを期待してテイクオフ
【3年前と大きく違ったドイツの自然エネルギー】
 景色で印象に残ったことを最初に報告します。ともかく、風力発電用の風車と太陽光発電パネルがものすごい勢いで増加していました。脱原発をいち早く宣言できる下地を観たと感じました。このようなことから推測して、日本で発生した大地震・津波・原発事故に対するドイツ人の反応が危機感ある素早い行動になったことを理解できました。
【素晴らしい友人たちの心遣い】
 今回の訪問は、震災の時に受けた日本に対するたくさんの支援に対してお礼を伝える重要な役割を背負っていることは派遣団員たちに自覚させて訪独しました。
 ニュルンベルク駅で最初に会ったドリスさんたちは、私のいつもの笑顔を見ても「本当に地震と原発の影響は大丈夫か?」といきなり質問が来ました。ドリスさんのご両親は、駅のホームで「元気そうで本当に良かった」と涙ぐみながら強く抱きしめてくれました。女子団員は、お店の人に首飾りをプレゼントされて「これは、日本の人達のお守り。あなたが代表して持っていきなさい」と言われたそうです。その女子団員は「感動して嬉しくて泣きそうになった。そうしたら、笑顔で頑張れと言われて本当に人の優しさが嬉しかった。」と話してくれました。今回の派遣研修は、全ての団員がドイツの人達の心からの優しさを強く体験した2週間になりました。
【大切な普段の生活】
 プログラムの中で、ニュルンベルクの青少年と新町の青少年が一緒に料理をする時間がありました。ニュルンベルクの青少年たちの多くが、手際よく準備をして料理をしている姿に触れて、普段の生活で自立するための教育がなされていることを強く感じました。男の子も女の子も関係なく、実に見事な包丁さばきに感心しました。
また、8月10日は世界的に株価が暴落しました。その時、ニュルンベルク市の青少年たちは、熱く経済問題についてミハエル氏を交えて同世代と議論をしていました。この感覚は、新町の高校生達は、驚きを持って見つめていました。スポーツだけでなく、様々なことに興味を持って議論できる同世代を見て、新町の青少年たちが何を感じたのか?
普段から生活に密着した生活力が育まれていることを改めて痛感しました。

【国会議事堂の作り方で表現している真の民主主義】
私たちは、この交流が始まって初めて首都ベルリンを訪問しました。国会議事堂の見学は、事前の氏名登録、パスポートも必要とあって外国人の見学はかなり難しい状態でした。以前は、テロ対策がなかったことから誰でも見学できたようです。ドイツの国会議事堂の中央部のドームは、議場の真上にあって、国民が国会議員を見下ろして見守る造りになっていました。これは、国民が国の動きをしっかり見ることができるように国会議員の活動を常に見ている思想から設計されたそうです。日本の国会議員のように勘違いした国会議員は育ちづらい環境ができた真の民主主義を表現していました。

【ベルリンの壁の悲劇と新しいベルリン】
 ベルリンの壁が崩壊して20年が経過しましたが、壁によって生じた悲劇が消えたわけではなく、国の体制の違いによって悲劇が生まれ、同じ国民同士が敵対しなければならなった歴史の重みを感じました。壁の博物館の学芸員へ「なぜ、壁が必要だったのか」という質問に対して「1日3千人が東側から西側へ流入していた。その理由は経済格差と家族離散にあった。つまり、東側は人材流出を防ぐ必要があった。」という回答でした。私は、壁は悲しみと苦しみを作り出したが、なにも生み出すことがない歴史の遺産だと犠牲者の顔写真を見ながら思いました。同じ、第二次世界大戦の敗戦国の日本。仮に、ベルリンの壁と同じような壁が東京にあったらと思うとゾッとします。しかし、東京にはないけれど、沖縄には日本とアメリカの壁(フェンス)が未だに存在していることを忘れてはいけない事実でもあり。複雑な感情になりました。
新しいベルリンを象徴する建物はたくさんある。国会議事堂・首相官邸・中央駅などすべてが生まれ変わったベルリンを表していました。特に道路整備は1日300か所も行っている現実があって、まだまだ成長する力強いベルリンも感じました。

【最高の友人とホストファミリー】
 今回のプログラムも、昨年、新町を訪問した青少年が中心になって企画して運営してくれました。その青少年をローター本部長、ドリスさん、ミハエルさんが支えてくれていました。新町にも良い手法を示してくれて新町の青少年達に良い影響がありました。また、今回も素晴らしいホストファミリーのみなさんが新町の青少年を支えてくれたことに感謝しています。私たちには、心から私たちのことを考えて心配してくれる最高の友人がドイツにいることを確信できました。距離は9千キロも離れていますが、心はすぐ近くにいる友人。そして、本当の家族のように温かく優しいホストファミリーにも出会えました。他人の大切な子息を預かる大変さを理解しているだけに本当に感謝しています。ホストファミリーのみなさん、新町の青少年達がプライベートで訪問しても温かく迎えてください。新町のホストファミリーもニュルンベルク市の青少年達がプライベートで訪問してくれることを楽しみに待っています。

【大好きなニュルンベルク市との青少年交流の継続】
 1999年から始まったニュルンベルク市と新町の青少年交流。私は、この青少年交流を受入事業・派遣事業を各5回経験しましたが、この青少年交流が大変有意義な交流だと確信しています。今後もこの青少年交流が継続できるように強く望んでいます。そのためには、私と同じ思いでニュルンベルク市が大好きな人材を育成していきたいと思います。ニュルンベルク市スポーツユーゲントみなさんありがとう!

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