2011年ドイツ派遣報告 8月10日(水) 

笠原 良佑

楽しい時間というものはあっという間に過ぎてしまい、もうお別れを言わなくてはいけない日が来てしまった。「光陰矢の如し」とはまさにこのことだ。

今日は集合した後、まず指導者を交えない、青少年のみの全日程のプログラム評価会を行った。プログラム評価は至って簡単で英語、独語のわからない人でも行うことができた。だが、意見交換では日本側からの意見は皆無で、ドイツ側からは多少意見が出たように見えたが、評価会統括のDavidと他のドイツメンバーとの間で独語で意見が交わされるだけで我々は理解することも、それに対する意見も言うことができなかった。言い訳に聞こえるかもしれないが、私としては意見を言いたかったが、言えなかった。それは上手く英語で伝えられるかがとても不安だったからだ。おそらく、同じ理由で発言できなかった日本人がいたと思う。日常会話なら簡単な英語、身振り手振りで何とかなるが、こういった大事な場面ではそうはいかないと私は思う。これからの活動や交流に少なからず影響を与えるであろうプログラム評価は完璧に自分の意見を相手に伝える必要があると私は考える。英語はおろか、日本語すらまともに操れない私が言うのも申し訳ないが、今後のプログラム評価会や大切なプログラム(国、地域に関すること、歴史etc・・)には通訳の人に同行、参加してもらうことを提案する。

私自身のプログラムに関する意見もここに書かせていただく。プログラム自体はとても楽しかった。特に地下鉄の貸し切りや、バスの長距離旅行などは我々にはできない魅力的なプログラムであった。反面、見学や訪問プログラムが多く、スポーツ交流よりも文化交流となってしまっていた感じがした。私はプログラムの内容はとても面白かったと思う。しかし、博物館を見学するのと、一緒にスポーツをするではやはり、一緒にスポーツをした方がうちとけられる。スポーツ交流については次回交流の際、今回の反省を生かしたプログラムを作成したいと思う。

プログラム評価の後は2斑にわかれ、片方は聖母教会の見学。もう片方はSabineさんとJanineの指導のもとで影絵の成作を行った。プログラムは午前と午後で入れ替わった。正午には聖母教会でオルガンコンサートを聴いた後にお祈りをした。
私は本格的な教会も本物のパイプオルガンも初めてであったのでとても興味深かった。特にパイプオルガンは聴くのも楽しかったが、演奏者を見ているのも楽しかった。お祈りのときには司教さんがいらっしゃったが、オシャレな感じで話しが面白くて、失礼ではあるが、歴史ある教会の司教さんには見えなかった。

東日本大震災が発生した際、多くのドイツ人が教会へ行って祈りをささげてくれたという。ありがたい話である。だか、我々日本人はどうだろうか・・。考えさせられる。

さよならパーティーは大成功だったと思う。しめっぽさは全くといっていいほど感じられず、強いて挙げれば私が汗でしめったくらいである。日本人もドイツ人も終始笑顔で(序盤のスピーチの時間は除く)最後の夜を楽しんでいたように見えた。優緋のソーススープも面白かったが、何よりForget GAIが面白かった。「二度あることは三度ある」という注意を呼びかける諺を見事に実行したあたりはさすが『山室家の星』である。

もうこの日記を書いている間に(実は書く前から)日付は変わって出発の日となってしまった。傍にはお土産でいっぱいになったトランクが口を開けている(閉まらない)。もちろん自分で買ったものも沢山あるが、ホストファミリーやMichael、Doris、それに他のドイツメンバーからもらったものも沢山ある。11日間で撮った(消去したものも含む)写真は約3200枚である。全て大切な思い出となる。
今回の交流では我々が楽しませてもらったが、2年後は我々が楽しませる番である。比較するものではないが、全ての交流の反省的と今回の経験を生かして最良のプログラムを創っていきたいと思う。もちろん、彼らが彼らの国と街に誇りを持って我々を受け入れてくれたように、我々、私も日本と新町に誇りを持って受け入れたい。

復興のシンボルである不死鳥の命のように私たち日独の友好関係とこのような交流が永遠に続くように・・。
最後に今回の日独交流で受け入れてくださった の皆様と送り出してくださった新町スポーツクラブの皆様、ご尽力くださった指導者をはじめとする関係各位に心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

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