笠原 良佑
すばらしい場所、すばらしいプログラム、すばらしい人たちと過ごした最高の12日間だった。
今回の国際交流の話が私のところに来たとき私は「ついにドイツに行くことができるのだ。」と大喜びした。ドイツ、特にニュルンベルグに対する不安なんて全く無かった。
思えば、5年前・・・私の始めての新町スポーツクラブでの活動だったのがこの日独国際交流だった。当時中学1年生であった私は初めて触れた外国の文化に強い衝撃を受け、同時にこの国際交流に強い憧れを持ったことを今でも鮮明に覚えている。
「いつか派遣団員としてニュルンベルグに行きたい。」そう思ったのはあのときの国際交流の最中だった。
私の人生初の外国はドイツに決まった。
部活動では2週間という長い休みをとることとなった。帰国したときにはレギュラーからおろされてしまっているかもしれない。しかしそれでもかまわない。私はニュルンベルグに行きたかった。まだ見ぬ国、ドイツに魅力を感じていた。
事前研修も何とかこなし、刻一刻と日本を発つ日が近づいていた。
ただ、英語力は5年前とさして変わっていなく、ドイツ語は全くわからないので現地では5年前や去年と同じく「勢い」で何とかすることにした。
7月30日
ついに出発の日を迎えた。そのときは異常なまでにテンションがあがっていた。よく「期待と不安を胸に・・・」などと言うが私には「期待」しかなかった。
出発時に駅の改札でひっかかってしまったが、まさかこの出来事が私のこれからを暗示していたとは、そのときには夢にも思わなかった。(その後、成田空港、ドイツ国会議事堂、ドイツ議員会館、フランクフルト空港・・・とセキュリティチェックのある所すべてでセキュリティチェックにひっかかる)
その後、ホテル、空港、機内、で他のメンバーに迷惑をかけ、カルピスとの悲しい別れを乗り越えながらも何とかフランクフルト空港駅に到着した。ここまで来ると日本人は全く見られず、外国に来たということを改めて実感した。ここでは我々が外国人なのだ・・・
余談ではあるが、飛行機が大好きな私が空港で大騒ぎしていたことは言うまでもない。
ICEに乗ってニュルンベルグを目指す。車窓から見える景色は日本のものとは全く異なり、今私が外国にいるということを実感させてくれた。
そしてついにニュルンベルグに到着した。
ホームではホストファミリーたちが文字通り「歓迎」してくれた。今までこんな風に出迎えてもらったことがなかったのでとてもうれしかった。
ホームの一角にイケメンたちが佇んでいた。まさかとは思ったが、それが私のホストファミリーだった。手をひかれ、言われるままに車に乗り込んだ。
ウェルカムパーティーで久々にドイツの友人たちと再会することができた。ずっとメールでやり取りしていたがお互いに顔をあわせて話すのは1年ぶりだった。みんな私のこと、私の家族のこと、日本のことを気にかけてくれていた。うれしい限りである。
ニュルンベルグの「我が家」でシャワーを浴びながら、これからのことを考えると、おもわず笑顔になってしまった。
夢のような日々がはじまった。
ニュルンベルグスポーツユーゲントの創ってくれたプログラムは実に趣向を凝らしてあり、とてもすばらしいプログラムだった。また、要所では通訳の人に来てもらうというのも非常に有効だと感じた。
他国の言語が苦手な日本人はうまくコミュニケーションをとることも苦手だが、最初のほうに協力が必要とされる調理実習や体を一緒に動かすスポーツ交流、みんなで食事をするバーベキューなどを取り入れることで自然とコミュニケーションがとれるようになったと思う。
調理実習ではドイツの食文化にも触れられた。スポーツ交流の卓球は素人の私でも楽しむことができた。卓球の前に行ったボールを使ったゲームはさらに楽しかった。バーベキューでは焼く仕事もさせてもらい、ドイツのメンバーのために日本人がソーセージを焼くという貴重な経験もした。その際数本のソーセージが燃料となってしまったことは誰も知らないだろう・・・
ベルリンは最も楽しかったプログラムのひとつだった。
実はこのプログラムを知る前、私は心に決めていたことがあった。それは「次にドイツを訪れるときは絶対にベルリンに行く」ということ。だがその夢はニュルンベルグのメンバーたちのおかげで「次回」まで待たずに叶った。
普段は行けないような国会議事堂に行って議員食堂で食事をしたり、あの有名なブランデンブルグ門の前で写真を撮ったり、世界遺産に行ったり、市内を散策したりと何もかもが楽しかった。でも、このベルリンのプログラムで何よりも得られたものは日独メンバーの親密な交流だろう。少なくとも私はいつも以上にコミュニケーションをとることができたと思う。まだ交流が始まって間もない時期に、こういった若いメンバーだけで出かけるというプログラムをいれることは大きな効果があると実感し、改めて今回のプログラムの思慮深さを感じた。
ベルリンから帰ってきて、もうひとつ感じたことがあった。それはニュルンベルグの美しさだ。他の都市を見てきたことでその美しさは一層引き立った。ベルリンも確かに美しい都市であったが、ニュルンベルグの美しさ(景色や市民の人柄)には到底及ばないと感じた。
そういえば国会議事堂のあの厳重なセキュリティの中にかばんを忘れた人がいた。まったくお騒がせである。
議員食堂で私のチャックが開いていたことはご愛嬌。
圧巻のクラシックオープンエアーピクニックコンサート、普通なら絶対に出来ないであろう地下鉄での暴走、巨大なプール、教会の立ち入り禁止区域への進入などなど楽しいプログラムがたくさんあった。
すべてのプログラムを通じて感じたことは、彼らは自分たちの国、自分たちの街、自分たちの団体に自信と誇りを持っているということだ。これは日本人に最も足らない精神だと思う。また、彼らは常に私たちを最優先に行動してくれていた。こうした配慮も本当にありがたいことだ。
ホストファミリーは本当にいい人たちであった。ホストファミリーデーもとても充実していた。
お父さんには警察学校に連れて行ってもらったり、人生初の自動車教習を受けさせてもらったり、仕事から帰ってきて疲れているのに真夜中までゲームにつき合わせたりと毎日忙しいのに色々してもらった。お母さんは毎日食事を作ってくれたり、洗濯や時には一緒にゲームをしてくれたりと慣れないであろう日本人相手に本当によく世話をしてくれた。アンドレには部屋をかしてもらい彼のプライベート空間を12日間も奪うというかわいそうなことをしてしまったが、文句も言わず我慢してくれた。
マークにはお礼のいいようがないくらいお世話になった。常にそばでサポートしてくれ、
片時も離れることはなかった。すさまじい回数の買い物にもつき合ってもらった。彼はニュルンベルグのメンバーの先頭にたって今回の交流を円滑に進めるのに尽力していたと思う。
このホストファミリーだったからあんなにも有意義な時間を過ごすことができたのだと思った。本当に感謝したい。
出会いには別れがつきものなのだと誰かが言っていた。
気づけば8月11日。別れの日を迎えていた。本当にあっという間の、しかし本当に楽しかった12日間であった。
ホームでのお別れのとき、お世話になったみんなにあいさつをした。あいさつをしに来てくれた人もいた。写真を撮りに来てくれた人もいた。
最後のお別れである。せめて、電車に乗るまでは平静を保とうとした。だが、それは不可能なことだった。あの楽しかった日々を思い出すと目頭が熱くなった。
そこから先はよく覚えていない。マークに最後に一言告げて、電車に乗り込んだ。最後の最後は笑って手を振れた。それだけしか覚えていない。
すばらしい日々だった。
今回の国際交流で受け入れてくださったニュルンベルグスポーツユーゲントの皆さん、指導者の方々、共に過ごした日本人の仲間たち、送り出してくれた家族、関係各位に心からお礼申し上げたい。
本当に貴重な経験をすることができた。
今度は私たち、日本のメンバーが彼らニュルンベルグのメンバーを迎える番である。今回のプログラムのよい点を吸収し、自信と誇りを持って我が国、我が街、我が団体に迎えたいと考えている。
ニュルンベルグで過ごした12日間は、私の人生の大きな糧になるであろう、本当に、本当にすばらしい時間であった。
これからもこの国際交流が末永く続いていくことを祈っている。