2011年ドイツ引率指導者感想文①

小 出 利 一

7月31日早朝の地震で、ドイツへ派遣される団員全員が成田空港近くのホテルで目覚めました。東日本大震災が起きたために新町単独になった今回のニュルンベルク市訪問の特別な夏が今年を象徴する地震で始まりました。
 今回の訪問は、ベルリン訪問と国会議員と面会もある特別な訪問になっています。
派遣団員は、女子7人・男子3人と初めて派遣団員が10人になりました。指導者も小島千佳を加えて初の2人体制としました。
 団員全員の顔が笑顔になっています。これは、今から始まる新しい自分達の旅を期待している笑顔だと感じました。青少年は経験をしたことがないドイツ・ニュルンベルク市での生活で何を学び、日本の良さ、ニュルンベルク市の良さを一体いくつ感じてくれるのか? 8月12日の帰国時にどんな成長を見せてくれるのかを期待してテイクオフ
【3年前と大きく違ったドイツの自然エネルギー】
 景色で印象に残ったことを最初に報告します。ともかく、風力発電用の風車と太陽光発電パネルがものすごい勢いで増加していました。脱原発をいち早く宣言できる下地を観たと感じました。このようなことから推測して、日本で発生した大地震・津波・原発事故に対するドイツ人の反応が危機感ある素早い行動になったことを理解できました。
【素晴らしい友人たちの心遣い】
 今回の訪問は、震災の時に受けた日本に対するたくさんの支援に対してお礼を伝える重要な役割を背負っていることは派遣団員たちに自覚させて訪独しました。
 ニュルンベルク駅で最初に会ったドリスさんたちは、私のいつもの笑顔を見ても「本当に地震と原発の影響は大丈夫か?」といきなり質問が来ました。ドリスさんのご両親は、駅のホームで「元気そうで本当に良かった」と涙ぐみながら強く抱きしめてくれました。女子団員は、お店の人に首飾りをプレゼントされて「これは、日本の人達のお守り。あなたが代表して持っていきなさい」と言われたそうです。その女子団員は「感動して嬉しくて泣きそうになった。そうしたら、笑顔で頑張れと言われて本当に人の優しさが嬉しかった。」と話してくれました。今回の派遣研修は、全ての団員がドイツの人達の心からの優しさを強く体験した2週間になりました。
【大切な普段の生活】
 プログラムの中で、ニュルンベルクの青少年と新町の青少年が一緒に料理をする時間がありました。ニュルンベルクの青少年たちの多くが、手際よく準備をして料理をしている姿に触れて、普段の生活で自立するための教育がなされていることを強く感じました。男の子も女の子も関係なく、実に見事な包丁さばきに感心しました。
また、8月10日は世界的に株価が暴落しました。その時、ニュルンベルク市の青少年たちは、熱く経済問題についてミハエル氏を交えて同世代と議論をしていました。この感覚は、新町の高校生達は、驚きを持って見つめていました。スポーツだけでなく、様々なことに興味を持って議論できる同世代を見て、新町の青少年たちが何を感じたのか?
普段から生活に密着した生活力が育まれていることを改めて痛感しました。

【国会議事堂の作り方で表現している真の民主主義】
私たちは、この交流が始まって初めて首都ベルリンを訪問しました。国会議事堂の見学は、事前の氏名登録、パスポートも必要とあって外国人の見学はかなり難しい状態でした。以前は、テロ対策がなかったことから誰でも見学できたようです。ドイツの国会議事堂の中央部のドームは、議場の真上にあって、国民が国会議員を見下ろして見守る造りになっていました。これは、国民が国の動きをしっかり見ることができるように国会議員の活動を常に見ている思想から設計されたそうです。日本の国会議員のように勘違いした国会議員は育ちづらい環境ができた真の民主主義を表現していました。

【ベルリンの壁の悲劇と新しいベルリン】
 ベルリンの壁が崩壊して20年が経過しましたが、壁によって生じた悲劇が消えたわけではなく、国の体制の違いによって悲劇が生まれ、同じ国民同士が敵対しなければならなった歴史の重みを感じました。壁の博物館の学芸員へ「なぜ、壁が必要だったのか」という質問に対して「1日3千人が東側から西側へ流入していた。その理由は経済格差と家族離散にあった。つまり、東側は人材流出を防ぐ必要があった。」という回答でした。私は、壁は悲しみと苦しみを作り出したが、なにも生み出すことがない歴史の遺産だと犠牲者の顔写真を見ながら思いました。同じ、第二次世界大戦の敗戦国の日本。仮に、ベルリンの壁と同じような壁が東京にあったらと思うとゾッとします。しかし、東京にはないけれど、沖縄には日本とアメリカの壁(フェンス)が未だに存在していることを忘れてはいけない事実でもあり。複雑な感情になりました。
新しいベルリンを象徴する建物はたくさんある。国会議事堂・首相官邸・中央駅などすべてが生まれ変わったベルリンを表していました。特に道路整備は1日300か所も行っている現実があって、まだまだ成長する力強いベルリンも感じました。

【最高の友人とホストファミリー】
 今回のプログラムも、昨年、新町を訪問した青少年が中心になって企画して運営してくれました。その青少年をローター本部長、ドリスさん、ミハエルさんが支えてくれていました。新町にも良い手法を示してくれて新町の青少年達に良い影響がありました。また、今回も素晴らしいホストファミリーのみなさんが新町の青少年を支えてくれたことに感謝しています。私たちには、心から私たちのことを考えて心配してくれる最高の友人がドイツにいることを確信できました。距離は9千キロも離れていますが、心はすぐ近くにいる友人。そして、本当の家族のように温かく優しいホストファミリーにも出会えました。他人の大切な子息を預かる大変さを理解しているだけに本当に感謝しています。ホストファミリーのみなさん、新町の青少年達がプライベートで訪問しても温かく迎えてください。新町のホストファミリーもニュルンベルク市の青少年達がプライベートで訪問してくれることを楽しみに待っています。

【大好きなニュルンベルク市との青少年交流の継続】
 1999年から始まったニュルンベルク市と新町の青少年交流。私は、この青少年交流を受入事業・派遣事業を各5回経験しましたが、この青少年交流が大変有意義な交流だと確信しています。今後もこの青少年交流が継続できるように強く望んでいます。そのためには、私と同じ思いでニュルンベルク市が大好きな人材を育成していきたいと思います。ニュルンベルク市スポーツユーゲントみなさんありがとう!

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2011年ドイツ派遣団員感想文⑩

松田幸音

ドイツは三度目なので、空港に着いたときのあのドイツ特有のパンの匂いが懐かしかったと同時に、本当にドイツに来たのだな、と思いました。ただ、今回はSVCの団員として来たこと、観光ではなく震災後の日本の様子を伝えることを目的としていることが違っていました。しかしドイツに来ることはとても嬉しいことだったので、まったく不安なきもちはありませんでした。ドイツに着いた最初の夜に歓迎パーティーがありました。そこで私は挨拶をしました。凄く緊張しましたが、その場の温かい雰囲気が自然と緊張をほぐしてくれました。ドイツ人のこの温かさが私は好きです。私がスポーツをしている時も、いいプレーが出来たら心から喜びを表してくれ、失敗しても責めることなく頑張ろうとした気持を褒めてくれます。外国には沢山のプラスの言葉が溢れていますが、日本語に訳すことは難しいです。「Good job!」「No problem」などの言葉の響きが私はいいと思います。私がドイツに住んでいた時は、日本の生活をしていました。今回ドイツにホームステイをして、ドイツの文化を知ることができました。私にとって特に興味深かったのは食文化です。調理中にもフライパンをふることはないなど、日本との相違点がみられました。そしてやはりドイツの食べ物はおいしいのです。クヌーデル、ザワーブラーテン、プレッツェル、ヨーグルト、チーズ、ハム、シュニッツェル、シュペッツェレ、ブルスト、カトフェルザラット、ポムス、パンケーキ入りのスープ、ズッキーニのカシューナッツとチーズのせ、アップルケーキ、ロールケーキ。とにかく美味しいものでいっぱいのドイツ。お菓子もおいしい、料理もおいしい、デザートもおいしい。3要素そろい踏みでした。そしてドイツの食材は何もかもが大きかったです。その大きい食材を余すとこなく使うのもドイツのお国柄だと思います。
今回初めて発見したドイツの好きじゃないところは、浄水場です。未だに鼻があの臭いを覚えているほど強力な匂いでした。ニュルンベルクの浄水場は必要だと分かっていてもやはりあの臭いは苦手です。
私は元々スポーツが得意ではありません。それ故に体を動かすということはあまり好きではありませんでした。しかし今回色々なスポーツ・アクティビティを体験させていただいて、体を動かしていて楽しいと思えるようになりました。日本にはない、誰でも楽しめるスポーツ施設が沢山あるので、日本にもそういう施設を造ると私のようなスポーツの苦手な人でも体を動かす楽しさが分かるのではないでしょうか。
私にとってこれが三度目となるドイツ渡航でした。懐かしかったことと、新しく見つけたことと、改めて思ったことと、沢山の思い出があります。そのどれもが私にとっては大切で、そしてこれからもずっと覚えていたい思い出です。最後の日は憂鬱で仕方がなかったのですが、笑顔で別れることが出来ました。伝えたいこともきちんと言えて、ドイツの方々にも沢山の言葉をもらいました。心の底から感謝しています。また何度でも機会があったらドイツに行こうと思います。その時は今回お世話になったドイツの皆さんにも笑顔で会いに行きます。

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2011年ドイツ派遣団員感想文⑨

山室 亥

7/31
早朝の地震と成田空港に両親が来たことにビックリした。それからは何も変わったことのなくドイツに出発した。飛行機の中では、ドイツに着いた後、ホストファミリーとどんな会話をしようかやちゃんと自分の意思が伝わるだろうかとドキドキしていた。しかし、飛行機で酔うというハプニングで考えていたことを忘れてしまった。ドイツに着いて最初に思ったことは、「寒い」だった。その後の電車での移動中はワクワクとドキドキと不安が入り混じった状態だった。電車がニュルンベルクに着いた時、僕を呼ぶ声が聞こえた。僕が英語で挨拶をしようとしたらJanineが「はじめまして」と日本語で言ってくれたので、日本語が通じる人がいると思った。しかし、世の中そんなに甘くないもので、その後英語の挨拶になった。でも、自分のために日本語を少しでも覚えてもらえて嬉しかった。その後のWelcomepartyは言葉が通じずあたふたしながら食事をした。とてもおいしかった。ホストファミリーの家に行った後は、トイレなどの場所を教えてもらい寝た。
8/1
朝食はケーキとパンだった。おいしかった。集合場所へはバスと地下鉄だった。地下鉄は運転手の居ない電車だったのでビックリした。集合場所についた後に少しお土産を見ていた。しかし、金銭感覚がイマイチよく分からなかった。市役所の前に行った時は、本当に市役所かどうかを疑いたくなるような外見だった。しかし、市役所内はとても綺麗だった。市長さんへの表敬訪問では、ニュルンベルク市全体で歓迎されていることを感じながらみんなで写真を撮りまし。その後の地下の穴監獄。市役所の地下だとは予想もしていなかった。拷問道具など、考えたくも無い物が合った。中世を忘れない為の物だろうと思った。その後はニュルンベルクの古い街のオリエンテーリングをやった。GPSがついている機械でポイントに行き問題を解くものだった。街並みをよく見た。とても綺麗だった。大きな問題もなく、無事に今日のスケジュールを終えた。フリータイムでは、お土産を少し買った。やはり、金銭感覚が分からなかった。家に帰った後は、家族とWIIをやった。そこは日本と変わらなかった。
8/2
朝食はパンだった。この日の、ドイツ料理は見た目以上に量があることに気がついた。今日のお昼ご飯は、みんなで作るものだった。もちろん自分は料理には自信が無い。けれど、出来ることをやった。皿だしやスプーンやフォークを出したりと、Kevinと協力した。とても仲がよくなったと思った。ニュルンベルクの仲間と作った昼食はとてもおいしかった。その後は、ニュルンベルクの仲間と卓球をした。今回もプログラムを通してニュルンベルクの同世代が一緒だから楽しい。常にKevinは卓球をやったことがないと言っていたのでとても大変そうだった。卓球をやっている間もKevinと話しをしていた。初日のようにあたふたする事もなく会話できた。すごく嬉しかった。その後はバーベキュー。肉は大きいし、おいしかった。この時にスプライトのおいしさに気がついた。南中ソーランを踊った後はKevinが「ソーラン、ソーラン」とよく言っていた。家に帰った後、この日は、サッカーのゲームをした。

8/3
この日はベルリンへ。ベルリン市内はとても人が多かった。ベルリン市内をバスでまわった後は、日本でいうところの、首相官邸と議員会館と国会議事堂に行った。首相官邸の前を普通に通れることにはビックリだった。議員会館で昼食を取った。議員会館を出たときに、忘れ物をしたことに気がついた。自分の人生で一生忘れることは無いであろう出来事だった。ミハエルさんやローターさんにはとても感謝しました。国会議事堂の中はおしゃれな感じだった。その後の夕飯はポテトの物だった。おいしかった。
8/4
朝食の時、リスを見た可愛いかった。ベルリン観光は、色々な所で少しバスを降りた。ベルリンの壁は、衝撃的だった。その後は博物館に行った。博物館の物はよく分からなかった。しかし、なんだか楽しかった。神様についての博物館だったと思う。
8/5
ベルリンの壁を見た。ベルリンの壁は1枚だと思っていた。しかし2枚だった。2枚の間の死の地帯でたくさんの人が亡くなっていた。日本に居たときは、全然そんなことを考えたこともなかった。目の当たりにして、凄い衝撃を受けた。平和な国に生きていることに感謝したい。
8/6
今日はロッククライミングをした。物凄く体力を使った。しかし、ドイツの人は、疲れたと言っておきながらも、どんどんと登っていた。力の差を感じた。昼食はピザだった。二切れでギブアップなほどの大きさだった。その後は、チームでのゲームだった。息を合わせるのが大変だった。この日のプログラムが終わった後に、Kevinに「サプライズがある」と言われたので楽しみにしていた。サプライズは、トウモロコシ畑にある迷路だった。30分くらい歩いたら、運動していたためかとても疲れた。でも楽しかった。その後、オープンエアコンサートに行った。とても壮大だった。でも途中で心地良くなってしまって、寝てしまった。ちょっと後悔した。
8/7
ホストファミリーデイの今日は、鍾乳洞とお祭りに連れて行ってもらった。鍾乳洞では、説明の人の話が全く理解できなかった。Kevinに英語で教えてもらった。それでも曖昧だった。次にKevinに合うときの為に英語をもっと出来るようにしようと思った。お祭りでは、古い騎士やドワーフのような格好をした人が居た。そこにあった大道芸の体験コーナーにKevinが興味津々だった。そしてKevinは少し練習すれば大道芸が出来るのではないかと思った。

8/8
今日は朝から焦った。なぜなら、集合時間に間に合うのかどうか分からないくらい、ゆっくりとした感じだったからだ。地下鉄の駅では、普通の人が入れない所から電車に乗り、運転席に乗せてもらった。今日は、みんなとは別行動なのか!と思ったりもした。幾つかした駅でみんなが見えた時は、驚いた。こうして僕は、すごい登場をした。その後、地下鉄の車庫に行った。よく分からなかったが車輪とブレーキの事くらいは分かった。次は路面電車だった。とても楽しかった。路面電車の博物館に行った。昼食を食べて、色々な物を見てまわった。楽しかった。しかし、ここでもって忘れ物をした。すごく焦った。その後に、水を再利用出来るようにするところに行った。とても臭いがきつかった。勉強にはなったが、あの臭いはもう勘弁だ。でも、環境を考えたシステムだったと思う。家に帰った後、荷物をまとめ始めた。とても悲しかった。
8/9
今日は、ソルトレイクという塩水のプールへ行った。足をかきむしった後だったので、とてもしみた。後は、ほとんど浮いていた。とても、疲れがとれた気がした。この日に荷物をまとめた。とても帰りたくなかった。しかし、明日起きられないのも大変なので寝た。
8/10
今日は、聖母教会へ行った。協会で、パイプオルガンの演奏を初めて生で聞いた。すごく大きくて綺麗な音だった。ソプラノ歌手の人も、綺麗な声で感動した。その後、東日本大震災の犠牲者へお祈りをした。ドイツの人も一緒に、日本の為に一緒にお祈りをしてくれた。その優しさがとても嬉しかった。昼食を食べた後は、影絵を作った。少し難しかった。影絵を作った後は、フリータイムだったので、Kevinと一緒に買い物をした。家に帰り、Kevinと遊んだ。そして、サヨナラパーティーの時間になった。サヨナラパーティーでは、色々な人の挨拶で1時間を使った。その後の夕食。とてもおいしかった。そして、南中ソーランの発表の時、僕はまたしてもやってしまった。法被を忘れてしまった。その問題は、なんとか解決した。その後は、みんなでTシャツにサインを、書き合った。サイン会も片付けも終わり、家に帰って、Kevinと遊んだ。2時くらいには寝てしまった。本当は寝たくなかった。
8/11
ドイツを出発する日が来てしまった。帰りたくなかった。Kevinやホストファミリーと泣きながら話した。とても良いホストファミリーだった。また、Kevinやホストファミリーに会いに行こうと思った。
ゆっくりだがKevinにメールを出している。今は、英語を間違える事もある。でも、繋がりを大切にしたい。こんな体験が出来て、とても貴重だと思う。このような体験を多くの人にして欲しい。

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2011年ドイツ派遣団員感想文⑧

佐々木花帆

今回私は2011年のドイツ国際交流に参加させていただきました。
初めてのドイツ、初めてのヨーロッパということで、とても緊張していました。

プログラムを渡されたときに、ベルリンに行くということが書いてあり、とても楽しみになりました。ベルリンの壁については、歴史の授業で何度も勉強したところだったので、実際に行って、見て、触れることができるという点においてとても気持ちが高まりました。世界史を勉強するにあたって、私がいつも思う問題とは、その歴史的建築物や場所を実際に見ることが非常に難しいということです。百聞は一見にしかずということわざがあるように、教科書で読んだり授業で聞いたりするよりも、実際に見て触れたほうが絶対に良いと私は考えます。だから今回、ベルリンの壁だけではなく、第二次世界大戦の被害を多く受けたドイツに足を運ぶことができて、本当に嬉しく思います。

フリーザー家のみなさんは私を大いに歓迎してくださりました。少し緊張していたけれど、家族のみなさんのおかげで緊張はすぐにほぐれ、すぐになじむことができました。

いつもお風呂につかっている私にとってシャワーの時間はとても大変でした。立ちながら体を洗うのが難しくて、床をびしょびしょに濡らしてしまいました。だんだん慣れてきて最後のほうにはマスターできてよかったです。

朝、昼、夜のご飯はとてもおいしかったです!ただ2週間目はお米が恋しくて仕方なかったです。やっぱり自分は日本人だなあと感じました。

ドイツでは数え切れないほどの思い出がありますが、一番自分に衝撃を与えてくれたのはやはり2泊3日で行ったベルリンです。ベルリンはすべてが衝撃でした。戦争についてあまり深く考えたことのない私でしたが、これをきっかけにとても戦争について考えるようになりました。ホストファミリーのレギーナに戦争について質問するといつも的確な答えをくれました。自分も広島の原爆などについてももっともっと勉強して自分の国の戦争事情をちゃんと説明できるようになりたいと思いました。自分の国がなにをしたのか、また何をされたのか、それをちゃんと自分で理解していないことをとても恥ずかしく思いました。

壁はとても高く、頑丈でした。上が丸くなっていて人間が上りにくくなっていたり、見張りがあったり、本当に壁をみた瞬間ぞっとしました。この壁をはさんで対立が起こっていたのだと思うと恐ろしくてしょうがありませんでした。人を殺すことが軽々しく行われていた時代、想像するだけで震えが止まりませんでした。

「あそこにライトがあって、あれで逃亡者を照らして、上の監視場所から狙撃して…」
耳をふさぎたくなるような話を沢山聞きました。
戦争だけでなく、ベルリンにはたくさんの政治的建造物もあり、とても興味深かったです。
日本の国会議事堂にすら入ったことがなかったのに、ドイツの国会議事堂に入れたので嬉しかったです。作りも巧妙で手を抜いていないというか、本当に綺麗で立派な建物でした。中のつくりもきれいで、面白かったです。国会議事堂の目の前の緑の芝生のところはとても気持ちよさそうでした。いつか大人になったら、そこでゆったりしたいと思いました。
ベルリン中央駅や、ブランデンブルク門、とにかく規模が大きいと思いました。

今回のドイツ研修で、たくさんの人と出会い、たくさんの物に触れ、たくさんのことを学び、自分を見直す機会になりました。これからもずっとこの出会いやドイツで学んだことを大切にしていきたいと思いました。思い出だけで終わらせるのではなく、これからに繋げていけたらいいなと私は考えます。だから、私のドイツ派遣はまだ終わっていません。一生続かせていきます。

関わったすべての人たちに感謝をして、自分を更に磨いて、またドイツに行けたらいいなと思います。

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2011年ドイツ派遣団員感想文⑦

水谷七海(高校1年)

7/31
ドイツの空港についても、周りには日本人ばかり。なんだか実感が湧かなかった。
ニュルンベルクに着くと電車の窓からドイツのみんなが見えた。一番前にAlinaがいてすぐにわかることができた。まず、少し安心した。会うともう言葉とかそういう状況ではなくて、お父さんとお母さんの大きな手と握手して「ドイツに来た。この家にお世話になるんだ。」と楽しみとともにまだ不安もたくさんあった。その時ドリスと再会した。ハグしたらすごく安心して思わず涙が出そうになった。不安もあったけど、知ってる人がいるってとても心強いことだと思った。車で連れられてWelcome party の場所まで行った。車の窓から見える景色はもう日本ではなくて建物一つ一つがオシャレだった。
ごはんは…おいしかった。:)こんなにおいしいものがこれから毎日食べられるのかと思うととても楽しみになった。
家について私がこれから泊まる部屋など案内してもらった。家はとても大きかった。
お土産を渡すとすごく喜んでくれてうれしかった。Alinaに浴衣を渡すとすぐに着てくれて…着付けをすると喜んでくれた。
8/1
朝食からオシャレだった。
電車で集合場所まで行くと、そこは古い街並みだった。日本で町の中心地っていうとビルが並んでいて、新しくて…というイメージだけど、ニュルンベルクは古い街並みできれいだった。
市役所ではニュルンベルクのバックがもらえたことが嬉しかった。
ニュルンベルクシティラリーでは、まず、昼食。Alinaとピザを半分にして食べた。だいたい7€でピザが買えてびっくりだった。とてもおいしかった。それからはついて行くしかできなかったけれど、使った機械がすごいことは分かった。自分の足で周りを見ながら回ることができて楽しかった。終わってもどり、目の前のおみやげ屋さんでおみやげを買った。みんなでアイスを食べて、家に帰った。帰ってからは時間があったのでAlinaとたくさん話せた。学校のことや好きな事…いろいろと知ることができた。Alinaとの距離が縮まった気がして嬉しかった。
晩御飯はタンブリンと牛肉で野菜を包んだやつと紫キャベツを煮たのが出た。みんな食べるのがうまくて、食べ終わったときにお皿に汁が全く残っていなかった。
私が食べるとソースが残ってしまう。一皿の中で食べるのって難しい…と思った。
8/2
朝食の後、車で集合場所まで送ってもらった。ニュルンベルクの青少年と一緒にドイツ料理です。まずは、スーパーまで買い出しへ行くとそこではきゅうりなど…何から何まで大きくて、メモを見てAlinaに連れられて行くと「えっこれ!?」という感じだった。料理は…はい。家できちんとやろうと思いました。ドイツのみんなは出来ない人がいない!!今まで家の料理は妹に任せていたので最近馬鹿にされるのですが、気にしていませんでした。しかし、今回は自分が料理ができないことを恥ずかしく思いました。
みんなで作ったご飯はおいしかったです!!!
路面電車でスポーツクラブへ移動し着替えると、部屋にたくさんのトロフィーとメダルがあったAlinaはやる気満々でmyラケットを出し始めた。これは、やばいと思いました…笑
はじめにみんなでやったゲームでドイツのみんなに圧倒されて…思いっきりやっているドイツのみんなは楽しそうだった。
スポーツクラブのサッカー場にあるバーベキュー会場へ移動すると、芝生の上を歩いているとAlinaが「靴嫌い」とかいって脱ぎ始めて、裸足で歩いていた。自然だな…と思った。バーベキューを待っている間、自然にサッカーが始まる、体を動かそうとするドイツのみんなを見ていて、普段の自分にはこういうことはないな…っと思った。
8/3
朝、奇跡的に目が覚めた。バスでベルリンに向かう間はAlinaとボードゲームをたくさんした。学校に持っていくかばんの中にたくさんのゲームが入っているAlinaはとても強かった。そういうところから柔らかい頭が生まれるのだと思った。歴史の授業の中で出てくるアウトバーンだけど、通ってみるとただ真っ直ぐな広い道でアウトバーンという実感がない。もっと、特別なものかと思ったら普通すぎてびっくりした。途中寄ったパーキングエリアは、とてもオシャレだった。日本のパーキングはいかにも止まって必要なもの買って行ってくださーい…というか余裕がないと思った。国会議員さんとのランチミーティングがなくなったのは、せっかくスピーチを考えていただけに少し残念だった。国会は外から見るととても歴史的で、国会議事堂の前で遊べるというオープンな雰囲気にびっくりだった。国会議員会館の中で昼食のときにお米が出てきて、日本のお米が恋しくになった。やっぱり、日本のごはんはおいしい。。
国会議事堂の説明をしてくださった方は問題に正解するとアメをプレゼントしてくれたり、面白い人だった。後からすごい人だとわかってびっくり!!そんな人と一緒に写真撮れたなんて…。
ベルリンのホテルの部屋はAlinaとシャニーヌと3人だった。日本人が1人でびっくりしたけど、だからこそ英語を使って話そうとできたし、よかったと思った。
8/4
朝食後出発。市内見学はすごく詳しくて、初めは気合い入れてメモとか取ってたけど途中から寝てしまった。せっかくの機会を寝てしまったことに反省。
午後に行った世界遺産の博物館の中の一つの博物館を見学した。古代遺跡だと理解したけれど、正直よくわからなかった。かほといっちゃんと日本人だけで回ってしまったし、だからといってドイツの人と回っても難しくてわかんないと思った。ある程度勉強してからでないとわかんないと思った。
その後のフリータイムは、ソニーセンターで夕食。その後、チョコレート博物館やおみやげ屋にいった。同じ世代なのに、レギーナのリーダーシップがすごいと思った。
その日の夜は、みんなで話をしたけど疲れていてそんなには起きていられなかった。
8/5
ベルリンの壁の博物館ではすごく丁寧で詳しい説明をしてくれた。ただ残念なことは、質問が浮かばなかったこと。質問ありますかって言われるとドイツ側からは出るのに初めて行った日本側から出ないというのが残念だったと思う。
帰りのバスでは途中、お父さんはベルリンで開催されるニュルンベルクのサッカーの試合へ。帰りのバスの中でベルリーナ(?というドーナツはとーーーっても甘かった。ベルリンから帰るとお母さんが迎えてくれてうれしかった。
8/6
午前中のロッククライミングは思ったよりできたけど、本気でガニ股を直そうと思いました。ゲームは楽しかった。そのあとフリータイムがあって、その時もやっぱりレギーナのリーダーシップを発揮してゲームを提案してみんな楽しむことができた。このリーダーシップは、すごいと思うし見習うべき姿勢だと思った。
その後は、マークの家に行ってサッカー観戦!!初めての分ですリーグの試合。お父さんがめっちゃイケメンだった。みんなで食べて、鶴おって、肝心の試合は審判にボールが当たったところが一番盛り上がった…笑
ニュルンベルクが勝ったのに…。楽しみにしていたオープンエアーコンサートは、家が遠かったので少しだけ見た。あとでギネスに載ったこととか聞いてまた絶対来たいと思った。
8/7
今日はホストファミリーデー。お昼頃にお父さんがベルリンから帰ってくることになっていたのでそれまで家でお話をしていた。お昼はレストランへ食べに行った。おいしかった。レストランでAlinaと一緒にナプキンで鶴を作った。お父さんがお店の人に「いつかお店のナプキンがこうやって出てくることを願うよ」って冗談で言っていた。こうして、日本の文化がたくさんの人に見てもらえるって嬉しいことだと思った。その後はお祭りに行った。そこでは職人さんみたいな人が昔の格好をして物を売っていた。玉乗りや綱渡りなど体験できる場所もあって小さい子と一緒になって遊んだ。また、そこであるお店の人に原発のことについて聞かれて、出来る限り答えて、いろいろ話をした。お店の人が突然私にネックレスをプレゼントしてくれた。それは願い事を想い浮かべると叶うというもので「これはあなたのためだけじゃなくて、あなたの国のためにだよ」と言ってくれた。すごくうれしかった。初めて会った人に心配してもらって、温かさを感じた。また、私たちを知らない人でさえこんなに心配してくださって、私たちを知っているドリスたちの心配はどれ程のものであったのかと考えると感謝しなければならないと思った。
お祭りでは亥君家にあった。その後は、いくつかのビアガーデンをまわった。
8/8
午前中のプログラムで地下鉄に関するものが中心だったけれど思ったよりおもしろかった。自分たちだけの特別列車が走って、小出さんが運転して、こんなに特別扱いもびっくり。それと路面電車の車庫のあった博物館の特に模型が細かいところまで作ってあって面白かった。
また、古い路面電車を貸し切って乗れたこともとても楽しかった古い車両で全てが木でびっくりした。浄水場は広かった!!
その後、スーパーに連れて行ってもらってお菓子を大量に買った。ハリボの安さにびっくりした。
その日はAkinaのおばあちゃんとおばさんが来る予定でみんなごはんを作った。
二人とも(特におばさん)とても楽しい人だった。
8/9
自分達で作ったパンはおいしかった。プールはしょっぱくて、ビックリ。それに、ドイツ人の足の細さにも驚いた。
その後Alinaとお土産を買いに行った。まず二日目に言った場所にニュルンベルクバックを買いに行って、ショッピングセンターに買物に行った。パパにお土産に頼まれていたハムとチーズを買いに行ったのだけど、普段買い物をよくしないから何gずつ買えばいいのかわからなくて全部200gずつとか言ったら店員さんが苦笑いだった。
8/10
朝の評論会では、全然意見が言えなかった。もっと英語が話せるようになりたいと思った。
そのなかで、みんなでやっていてドイツ人はやっぱ遠慮がなくてはっきりしていてかっこいいなあと思った。聖母教会では特別にバルコニーへ登れて、speechの場所に行けたり貴重な体験ができたからすごく良かったと思う。
家に帰って、ママに頼まれていたタンブリンの作り方を教わった。
さよならパーティは楽しかった。スピーチもちゃんと出来たしよかったと思う。
でもみんなでポロシャツに寄せ書きし始めたくらいから「ああ…帰るんだな」と思って悲しくなった。
8/11
…寝坊した。帰りたくない。
駅に着いてからは時間が経つのが早かった。あっという間に駅のホームへ。初めてこの駅に着いた時の不安ではなく、そばにみんなのいる安心感があった。
別れの時さみしくて泣いたけれど、なぜか「また会えるし」という自信があった。
というのも、今はFacebookとかmailもあるしいつでも連絡が取れるし、お父さんはまたドイツに来るときは言ってねって言ってくれるし…。

今はalinaやみんなとfacebookで連絡取っています。もっともっと勉強してみんなといろいろな事を話せるようになりたいです。また、私の将来の夢のためにはドイツ語も必要で、いつか今度は通訳として指導者として来られるようになりたいです。
また、今回改めて感じた私の普段の暮らしで足りないこと。料理、体を動かすこと、言語。私はドイツに行って普段は出来ない貴重な体験ができたのだから、自分でこれからの生活を変えていきたいと思いました。また、今回出会った人々とのつながりをこれから大切にしていきたいと思いました。
このプログラムに携わったすべての人達に感謝しています。ありがとうございました。

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2011年ドイツ派遣団員感想文⑥

高1 丸茂いつ実

「やっと行ける‥‥」今まで4回受け入れをしてきて「いつか絶対行くから。」と約束してきました。ついに初めての海外。想像もつきませんでした。ドイツに着くとそこは別世界。景色がきれい。人々がかっこいい。食べ物はおいしい。
 そしてホストファミリーのサラ家に笑顔で歓迎されて不安だった気持ちがすぐに飛んでいき、なぜか自信が湧いてきました。話せなくてもやっていける自信(笑)そう思うと、ますます楽しみになっていきました。
 また、プログラムも盛りだくさんで普通の観光客ができない体験がたくさんできました。なかでもドイツの新聞に大きく写真が載ったことは一生の思い出になりました!
 サラはいつも笑顔で話しかけてくれました。しかも気が利いて、私が困っている顔をしているとすぐ「どうしたの?」と聞いてくれます。サラは本当に私のお姉ちゃんみたいでした。しっかりしているけど、一緒にふざけてくれるお姉ちゃん。「今日の服かわいいね」など話が合うお姉ちゃん。また、サラのおじいちゃん、おばあちゃんも本当に優しくて温かくて、ベルリンに泊まりに行ったとき二人がいなくて私は寂しかったのをよく覚えています。帰ってきたときもまだ三日しか生活していないのに自分の家のように落ち着きました。
 今回ドイツに初めて行って、ドイツという国そのものが温かい国だなと実感しました。ドイツのメンバーもそうだし、町を歩いている知らない人さえも、目が合うとほほ笑んでくれます。また、「ありがとう」という言葉が家でも店でも多く飛び交っていて「すてきな国だな~」と何度も思いました。
 私が一番心配していた『言葉の壁』もまったくとは言えないが、大丈夫でした。わかろうとすれば、お互い何が言いたいかが理解できました。コミュニケーションってこういうことなのだな、と改めて思いました。また、今回自分の目標であった『何でもチャレンジすること』が達成できてよかったです。体全体でドイツを楽しむことができました。
 最後に私をドイツへ連れていってくれた小出さん、千佳ちゃん。一緒に行った日本のメンバー。受け入れをしてくれたドイツのメンバー。そしてお金を出してくれた両親。本当にありがとうございました。ドイツへ行って自分の可能性を見つけ、成長できたと思います。
 また、今年は震災があり、国境を越えて心配してくれる仲間がいることが本当に幸せだな、と感じました。
 そんな私の自慢は、日本を越えてドイツにいつでも泊めてくれる家があり、家族がいることです。  サラ家、大好き!! ニュルンベルク市大好き!!

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2011年ドイツ派遣団員感想文⑤

倉嶌優緋

ドイツのフランクフルト空港に着た。
初めての海外の電車にワクワク気分いっぱいで乗り込みました。日本の特急列車より早くて振動もなく乗り心地が良くて2等車には思えない日本のグリーン車のようで、とても驚きました。
ニュルンベルク駅に着くとホームステイ先のロビンとロビンのお母さんとお父さんが迎えにきてくれていたので、また改めて自分が海外に来ていると実感しました。ホームステイ宅は自分の家よりとても大きくて、石作りの感じで靴を脱いで入りました。自分の部屋は屋根裏みたいな雰囲気でベッドもフカフカで柔らかくて、ベッドの上には枕やクッションが沢山あって部屋の中に小さな水道があったのには驚きました。とても心地良い部屋でいっぺんに気に入りました。その夜は飛行機の中で沢山寝ましたが、ぐっすり眠れました。
ニュルンベルクの町は、レンガ作りの建物が多く花店や果物店が出店になっていて、日本で言えば朝市のような感じで、高崎市内や新町もこういうような所があればいいなぁ~って思いました。ロビンの家の近くに河川航海用の閘門があり見るのは初めてだったので感動しました。
ドイツの料理や肉が多く使われていました。私は、いつも肉をあまり食べないのですがドイツの肉やソーセージはおいしくておかわりする自分に驚くぐらい本当においしかったです。
ドイツの国会議事堂の中は吹き抜けでガラス張りの明るく広くて綺麗な場所で日本の国会議事堂の地味な印象とは違いました。そのあと議事堂の展望台も、眺めがよくてベルリンが一望できて景色が綺麗でした。
ベルリンの町はニュルンベルクとは違う都会の雰囲気がありました。
ベルリンの壁が何故できたのか何故つくられたのかも学びました。同じ国の人が戦争で別れた事はとても残酷に感じました。
ドイツのレクリェーションはダビットさんが提供したゲームやダンスをしました。魔法のじゅうたんみたいなゲームや初めてするゲームはとても参考になって、日本でもやれると思いました。皆と協力してやったので楽しかったです。ロッククライミングは最初怖かったけどやっていくうちに楽しくなりました。
クラシック・オープンエアーコンサートでは初めての野外コンサート体験で、まわりは多数のキャンドルライトが綺麗でとても感動した夜でした。
自分にとって一番興味のある鉄道はニュルンベルクの鉄道博物館と日本の鉄道博物館は大体同じ感じでしたが、ドイツの鉄道の歴史と日本の歴史の違いがわかって楽しかったです。
地下鉄の車庫では電車のしくみや修理の現場を見学しました。地下鉄の車庫から降りる駅まで運転席に入れた事が日本ではできない経験だったのですごく感動しました。
動物園は日本の動物園にはいないマンティという動物や動物園には展示しない昆虫がいたりしたので驚きの連続で楽しかったです。
浄水場に行って水のリサイクル方法などを学び水の大切さを痛感しました。
ドイツは環境問題の対応が日本より進んでいる感じで空が青く雲も低いし森や自然が豊かだと感じました。
8月10日、聖母教会の見学は中に入りキリストやマリア像の彫刻がたくさんあり、聖母マリアの教会と言われていて教会を作った理由やその歴史を学びました。そこで聞いたパイプオルガンと歌声がとても素晴らしい音色で感動しました。
影絵作りではロビンが書いてくれて、スネオヘヤーになった自分の影絵を少し大変だったけど結構うまく切れて面白かったです。自分がスネオで、ガイがのび太で、軍曹がジャイアンという影絵ができました。
さよならパーティーは食事や南中ソーランをドイツの人達と一緒にできて、テンションもみんなハイでとても面白かったです。
ロビンから1FCニュルンベルクのユニホームをもらってとても嬉しかったです。
ホームステイ最後はニュルンベルク駅でホストファミリーとお別れでした。
ロビン宅を出る時は淋しくて悲しくて、涙をこらえるのが大変でした。
でも、駅で電車を待っている時は、ロビンも僕も我慢ができなくて抱き合いながら泣いていました。本当にロビンやお父さん、お母さんにはいっぱいお世話になりました。心から感謝でいっぱいでした。
10日間のホームステイでいろいろなことを学んだり楽しんだりしたのでこのままニュルンベルクに残っていたい気持ちでいっぱいになりました。
またドイツに来たいと思いました。
私は、初めて海外に行くことになって楽しみと同時に英語が出来ない不安でもありましたが、ドイツでホームステイをして英語が話せなくても身振り手振りで日本語でも通じる事や日本と違う生活や食事などで、いろいろなことを経験できて良かったと思いました。
 一緒にドイツへ行った新町のメンバー。ニュルンベルクのメンバー、ホストファミリーの人達、新町スポーツクラブのみなさん、両親に感謝しています。

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2011年ドイツ派遣団員感想文④

笠原 良佑

すばらしい場所、すばらしいプログラム、すばらしい人たちと過ごした最高の12日間だった。

 今回の国際交流の話が私のところに来たとき私は「ついにドイツに行くことができるのだ。」と大喜びした。ドイツ、特にニュルンベルグに対する不安なんて全く無かった。
 思えば、5年前・・・私の始めての新町スポーツクラブでの活動だったのがこの日独国際交流だった。当時中学1年生であった私は初めて触れた外国の文化に強い衝撃を受け、同時にこの国際交流に強い憧れを持ったことを今でも鮮明に覚えている。
 「いつか派遣団員としてニュルンベルグに行きたい。」そう思ったのはあのときの国際交流の最中だった。

 私の人生初の外国はドイツに決まった。
 部活動では2週間という長い休みをとることとなった。帰国したときにはレギュラーからおろされてしまっているかもしれない。しかしそれでもかまわない。私はニュルンベルグに行きたかった。まだ見ぬ国、ドイツに魅力を感じていた。
 事前研修も何とかこなし、刻一刻と日本を発つ日が近づいていた。
 ただ、英語力は5年前とさして変わっていなく、ドイツ語は全くわからないので現地では5年前や去年と同じく「勢い」で何とかすることにした。

 7月30日
 ついに出発の日を迎えた。そのときは異常なまでにテンションがあがっていた。よく「期待と不安を胸に・・・」などと言うが私には「期待」しかなかった。
 出発時に駅の改札でひっかかってしまったが、まさかこの出来事が私のこれからを暗示していたとは、そのときには夢にも思わなかった。(その後、成田空港、ドイツ国会議事堂、ドイツ議員会館、フランクフルト空港・・・とセキュリティチェックのある所すべてでセキュリティチェックにひっかかる)

 その後、ホテル、空港、機内、で他のメンバーに迷惑をかけ、カルピスとの悲しい別れを乗り越えながらも何とかフランクフルト空港駅に到着した。ここまで来ると日本人は全く見られず、外国に来たということを改めて実感した。ここでは我々が外国人なのだ・・・
 余談ではあるが、飛行機が大好きな私が空港で大騒ぎしていたことは言うまでもない。

ICEに乗ってニュルンベルグを目指す。車窓から見える景色は日本のものとは全く異なり、今私が外国にいるということを実感させてくれた。

そしてついにニュルンベルグに到着した。
ホームではホストファミリーたちが文字通り「歓迎」してくれた。今までこんな風に出迎えてもらったことがなかったのでとてもうれしかった。
ホームの一角にイケメンたちが佇んでいた。まさかとは思ったが、それが私のホストファミリーだった。手をひかれ、言われるままに車に乗り込んだ。

ウェルカムパーティーで久々にドイツの友人たちと再会することができた。ずっとメールでやり取りしていたがお互いに顔をあわせて話すのは1年ぶりだった。みんな私のこと、私の家族のこと、日本のことを気にかけてくれていた。うれしい限りである。

ニュルンベルグの「我が家」でシャワーを浴びながら、これからのことを考えると、おもわず笑顔になってしまった。
夢のような日々がはじまった。
 ニュルンベルグスポーツユーゲントの創ってくれたプログラムは実に趣向を凝らしてあり、とてもすばらしいプログラムだった。また、要所では通訳の人に来てもらうというのも非常に有効だと感じた。

 他国の言語が苦手な日本人はうまくコミュニケーションをとることも苦手だが、最初のほうに協力が必要とされる調理実習や体を一緒に動かすスポーツ交流、みんなで食事をするバーベキューなどを取り入れることで自然とコミュニケーションがとれるようになったと思う。
調理実習ではドイツの食文化にも触れられた。スポーツ交流の卓球は素人の私でも楽しむことができた。卓球の前に行ったボールを使ったゲームはさらに楽しかった。バーベキューでは焼く仕事もさせてもらい、ドイツのメンバーのために日本人がソーセージを焼くという貴重な経験もした。その際数本のソーセージが燃料となってしまったことは誰も知らないだろう・・・

ベルリンは最も楽しかったプログラムのひとつだった。
実はこのプログラムを知る前、私は心に決めていたことがあった。それは「次にドイツを訪れるときは絶対にベルリンに行く」ということ。だがその夢はニュルンベルグのメンバーたちのおかげで「次回」まで待たずに叶った。
普段は行けないような国会議事堂に行って議員食堂で食事をしたり、あの有名なブランデンブルグ門の前で写真を撮ったり、世界遺産に行ったり、市内を散策したりと何もかもが楽しかった。でも、このベルリンのプログラムで何よりも得られたものは日独メンバーの親密な交流だろう。少なくとも私はいつも以上にコミュニケーションをとることができたと思う。まだ交流が始まって間もない時期に、こういった若いメンバーだけで出かけるというプログラムをいれることは大きな効果があると実感し、改めて今回のプログラムの思慮深さを感じた。
ベルリンから帰ってきて、もうひとつ感じたことがあった。それはニュルンベルグの美しさだ。他の都市を見てきたことでその美しさは一層引き立った。ベルリンも確かに美しい都市であったが、ニュルンベルグの美しさ(景色や市民の人柄)には到底及ばないと感じた。
そういえば国会議事堂のあの厳重なセキュリティの中にかばんを忘れた人がいた。まったくお騒がせである。
議員食堂で私のチャックが開いていたことはご愛嬌。

圧巻のクラシックオープンエアーピクニックコンサート、普通なら絶対に出来ないであろう地下鉄での暴走、巨大なプール、教会の立ち入り禁止区域への進入などなど楽しいプログラムがたくさんあった。

すべてのプログラムを通じて感じたことは、彼らは自分たちの国、自分たちの街、自分たちの団体に自信と誇りを持っているということだ。これは日本人に最も足らない精神だと思う。また、彼らは常に私たちを最優先に行動してくれていた。こうした配慮も本当にありがたいことだ。

ホストファミリーは本当にいい人たちであった。ホストファミリーデーもとても充実していた。
お父さんには警察学校に連れて行ってもらったり、人生初の自動車教習を受けさせてもらったり、仕事から帰ってきて疲れているのに真夜中までゲームにつき合わせたりと毎日忙しいのに色々してもらった。お母さんは毎日食事を作ってくれたり、洗濯や時には一緒にゲームをしてくれたりと慣れないであろう日本人相手に本当によく世話をしてくれた。アンドレには部屋をかしてもらい彼のプライベート空間を12日間も奪うというかわいそうなことをしてしまったが、文句も言わず我慢してくれた。
マークにはお礼のいいようがないくらいお世話になった。常にそばでサポートしてくれ、
片時も離れることはなかった。すさまじい回数の買い物にもつき合ってもらった。彼はニュルンベルグのメンバーの先頭にたって今回の交流を円滑に進めるのに尽力していたと思う。
 このホストファミリーだったからあんなにも有意義な時間を過ごすことができたのだと思った。本当に感謝したい。

 出会いには別れがつきものなのだと誰かが言っていた。
 気づけば8月11日。別れの日を迎えていた。本当にあっという間の、しかし本当に楽しかった12日間であった。
 ホームでのお別れのとき、お世話になったみんなにあいさつをした。あいさつをしに来てくれた人もいた。写真を撮りに来てくれた人もいた。
最後のお別れである。せめて、電車に乗るまでは平静を保とうとした。だが、それは不可能なことだった。あの楽しかった日々を思い出すと目頭が熱くなった。
そこから先はよく覚えていない。マークに最後に一言告げて、電車に乗り込んだ。最後の最後は笑って手を振れた。それだけしか覚えていない。

すばらしい日々だった。

今回の国際交流で受け入れてくださったニュルンベルグスポーツユーゲントの皆さん、指導者の方々、共に過ごした日本人の仲間たち、送り出してくれた家族、関係各位に心からお礼申し上げたい。
本当に貴重な経験をすることができた。

今度は私たち、日本のメンバーが彼らニュルンベルグのメンバーを迎える番である。今回のプログラムのよい点を吸収し、自信と誇りを持って我が国、我が街、我が団体に迎えたいと考えている。

ニュルンベルグで過ごした12日間は、私の人生の大きな糧になるであろう、本当に、本当にすばらしい時間であった。
これからもこの国際交流が末永く続いていくことを祈っている。

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2011年ドイツ派遣団員感想文③

安原 廣乃

私にとってドイツは、初めの海外でとても緊張しました。でもたくさんの体験ができました。

わたしが一番不安だったのが言語です。しっかり、コミュニケーションがとれるか不安でした。実際ドイツに着いてすぐに、日本に帰りたくて仕方がありませんでした。わたしは、相手が一生懸命話しているのに、それを理解できない自分が嫌で、とても申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

でもそんなわたしを勇気づけてくれたのがドイツのユースメンバーでした。理解できなくても分かるまで教えて、自分も理解しようと努力すれば伝わる、と言うことを体験できました。

そして、一生の思い出になるほど楽しませてもらいました。
とくにわたしは、ニュルンベルクの街並みに感動しました。ドイツの中でも歴史が古い町だと聞きました。建物の古さなど、日本とは違った雰囲気で、外国らしさが出ていてわたしは、新鮮な気持ちになりました。
ドイツでは色々な体験ばかりできました。

ベルリンの国会議事堂からの景色はドイツの色んなところが見れて感動しました。初めて体験したロッククライミングは日本に居るときからやってみたい!と思ってたからとても楽しかったです。
言葉もしゃべれないわたしがすごく、楽しむことができました。
最初、ドイツに行くか行かないかぎりぎりまですごく悩みました。でも今、行ってよかったと思ってます。それは、ドイツで関わったみなさんのおかげです。

感謝の気持ちを忘れず、これからのドイツ合流に生かせたらいいと思います。

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2011年ドイツ派遣団員感想文②

富田 愛佑美

「ニュルンベルク市青少年交流プログラムに参加して本当に良かった」。私がこう思えたのは、二週間滞在の間、私を本当の家族のように受け入れ、面倒をみてくれたミレナ家族のおかげだと思います。また、このプログラムは、私が今までに経験したことのない事ばかりの連続で、ドイツと日本の文化や生活の違など多くの事を学ぶことができました。

その中で特に印象に残っているのは、ベルリンに行った日と8月7日のホストファミリーと一緒に過ごした日です。

ベルリンに行った日は、一日中ミレナと一緒でした。移動中のバスの中では、ドイツで有名なトランプや歌を一緒に聴くなど、ドイツに親しみを感じる事ができました。宿泊施設では、夜にみんなで集まり持ちよったお菓子や果物でパーティーをしました。日本語の練習をしたり、日本のアニメについて話をするなど、とても楽しい時間を過ごすことができました。そして、教科書でしか見た事のない歴史の場所であるベルリンの壁を実際に見学した時には、壁を作った理由や、その壁によって百人以上もの人が射殺された事などの説明を受けて、考えさせられる事がたくさんあり、平和のありがたさを遠く離れた地から見ることができました。

次にホストファミリー家族と一緒に過ごした日では、ローテンブルクに行きました。そこはとてもきれいな町並で、塔にのぼって周りを見渡すと、森と赤い屋根でできているレンガの家が並んでいてヨーロッパにいる事を実感できました。その後は、クリスマスミュージアムに行きました。ドイツはクリスマスが有名だと聞いていていたので、夏にクリスマスを体験できて良かったです。このような充実したプログラムに参加して感じたことは、英語がうまく伝わらないこともしばしばありましたが、積極的にコミュニケーションをとることでお互いが理解し合う努力をするので何とかなるものだと感じました。また改善する点としては、自分の意志をはっきり伝える事が必要だと気がつきました。この事をよく頭に入れて、今後に生かせたらいいと思います。

最後に貴重な体験をさせるために、私を受け入れてくれたミレナ家族、引率していただいた小出さん、小島さん本当にありがとございました。また今度、ドイツのメンバーが日本に来るときには、最高の思い出をつくってもらえるように積極的に参加したいと思います。

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