沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート⑨

千木良 香琳

今回沖縄へ行って、初めていろいろな経験をして沖縄に友達ができたりして、とてもいい思い出になりました。石川県のパレットの人たちと沖縄県のなぎじんスポーツクラブの人たちと、糸満市西崎アスリートクラブの人たちとも交流をして友達になって、今は連らくもとっていて沖縄に友達がいてとてもうれしいです。
 見たことのない魚や植物もたくさんあり、とくに美ら海水族館で見たジンベイザメにはおどろきました。今までこんなに大きい魚を見たことがなかったのでうれしかったです。
 飛行機の乗り方や空港まで来る電車の乗り方もまったく知らなかったので、この機会を生かしてどこかへ行けたらいいなと思います。
 首里城のことも首里城は知っていたけど、どのような場所でどんなことをするのかはまったく知らず、今回の見学がなければ知らないままでした。沖縄の戦争についても同じです。私は沖縄の戦争のことは知っていても、細かいところまでは全く知らず、行ってみなければわからない事がたくさんでした。写真などもあってとても戦争のことが良くわかり、もっと戦争のことについて知りたいと思いました。そして沖縄の戦争についてあまり知らない人たちにもっと知ってもらいたいと思いました。
 今回沖縄へ行った経験を生かして、これからは交流を積極的にやったり、戦争のことについてももっと知り、いろいろなことにちょうせんしていけたらいいなと思います。

<保護者より>

 飛行機に乗る事から初めての事ばかりの3日間でした。いろいろな体験・経験が出来たのはもちろんですが、一番は糸満にお友達が出来た事でした。あれから毎日の様にメールのやりとりをしている様です。たくさんの経験ができ、少し成長した娘を見る事ができ。すごく嬉しく思っています。お世話になったみなさんに感謝しています。
ありがとうございました。

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沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート⑧

齋藤 舞

この4日間で一番印象に残った思い出は、沖縄の人たちと交流できたことです。今年の2月に、私の家にホームステイに来てくれた亜喜ちゃんにも会えたし、ほかの沖縄の子も友達になれました。一番仲良しになれたのは、もっこちゃんとわっこちゃんです。2日目の夜に初めて会って、沖縄の「くろくろとう」ともう一つ何か黒糖のおかしをもらいました。その時は全然会話ができなかったけれど、少しずつ話しているうちに仲良くなれてとてもうれしかったです。3日目の夜に、みんなでUNOをやったりもしました。本当に楽しくて、ずーっとやっていたいくらいでした。
 一番ビックリしたことは、神谷さんが自家用のバスを運転していたことです。神谷さんは私たちにわかりやすいように、しかも私たちに合わせて中学生のわかりやすく少し難しい話をしてくれました。とってもわかりやすかったです。神谷さんはすごい人だとわかってはいたけれど、こんなにすごい人だとは思っていなくてビックリしました。
 この他にも「A&W」でハンバーガーを食べたことも印象に残っています。沖縄のフライはじゃがいもで作っていないのでフライドポテトとは言わないそうです。ポテトではなく大豆で作っているそうです。私は大豆が好きではないけれど、ふつうにじゃがいもだと思って食べていたのでびっくりでした。あとルートビアも印象に残っています。ルートビアは薬の飲む用のものみたいな味で、私はきらいです。だけど、おかわり用をくばっていてびっくりしました。
 今帰仁村の人たちは面白い子が多くて、糸満市の人たちは優しい子が多くて、沖縄の人たちはいい人がたくさんいるなと少し関心しました。私もいろんな人たちに優しくしていくたいなと思いました。
 私はこの研修がとても楽しくて、将来沖縄に住んでみてもいいなとまで思っています。また、みんなと再会できたらいいなと思います。本当に楽しかったです。
沖縄大好き! 沖縄最高!

<保護者より>

 今回、子どもとともに、保護者という立場で参加させていただきました。
 幸い、4日間とも青空が見られ、時折降雨はあったものんお、移動中や食事中などとタイミング良く避けられ、傘を使わずに過ごすことが出来ました。
 子供たちと同じ景色を観て、風に吹かれながら、沖縄の素晴らしさを実感し、日常とは一味違った子供たちの姿を見ることが出来、大変貴重な経験をさせて頂きました事に感謝申し上げます。

 群馬では見ることのできない美し海。その海の青さを際立たせている青空と陽射し、白い砂。共に活動してきた仲間たちと、夢中になって魚を探したり、砂浜ではしゃぐ姿を見て、こちらも元気をもらえるようでした。
 飛行機に乗ること、沖縄でしか味わえない食べ物、初めて出会う人達・・・
慣れない地に立ち、訪れた場所の景色を眺め、その音を聴き、子供達はそれぞれの感性で受け止めていたようです。その中で、自分がどう行動していくべきなのいかを考えたり、また、仲間同士の距離感や役割分担が知らず知らずのうちにできていて、たった4日間の行程を通じて少しずつ変化が見えたのが印象的でした。
 今回の研修の大きな目的の1つでもある、沖縄の歴史や沖縄での地上戦についての理解を深めることが出来たことは、子供達だけでなく、大人の私にとっても大変貴重な経験でした。
 机上の勉強だけでは理解しきれない、より真実に近い姿を現地で見ることが出来たことは、今後忘れられないと思います。神谷指導者や井上マリナさんのお母様が説明してくださったことは、この地に住んでいるからこそ、という重みを感じさせるものでした。
 初日に交流した今帰仁スポーツクラブ、石川県羽咋市のクラブパレット、後半に交流した糸満市の西崎アスリートクラブの皆さんと一緒に体を動かして楽しむ様子を見て、スポーツも音楽同様(言葉がなくても)共に楽しめるものなんだとつくづく感じました。そういう楽しみ方を知っているというのは、人間としての幅も広がるきっかけになるのかな、と思いました。
 特に今回、ありがたいことに、今年2月に群馬へ来てくれた西崎アスリートクラブのメンバーと再会することが出来ました。2月には一緒に交流できる時間が短かったので、この再会で、お互いの顔と名前がだんだん一致していけたのではないでしょうか。今回沖縄に行った子供達から、来年以降沖縄を訪れるメンバーにも、この良い流を引き継いでいってもらえたらいいいなと感じました。
 小学生の時に群馬へ来たことのある子がもう19歳になって、泊まっている施設に遊びに来てくれて、子供達とともに夜中遅くまでカード遊びをしてくれていたそうです。舞はそれが一番楽しかったそうで、その証拠(?)に、帰宅後数日間の喋り口調は沖縄のイントネーションが抜けないでいました。

 本当に、とても4日間では足りないくらいの“濃い”時間を過ごせたと思います。
子供達には「自律」そして「自立」のための礎として、この研修での経験が今後に活かされていってくれたらいいなと切に願います。
 子供達の同行し、時には「考えるヒント」を与えながら、時には厳しく、時には優しく見守ってくださった指導者の方々に感謝申し上げます。
 また、今回子供達に随行することが出来ましたのも、家族や周囲の方々のサポートがあってこそでした。この場を借り増して、改めて感謝の意を表したいと思います。

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沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート⑦

亀井 郁実

一番印象に残ったことは、紅型染め体験でした。私は小学校のときに、絵の具を使ってもようや絵を書きランチョンマットを作りました。私は少しやり方が一緒かなと思ったけど、ぜんぜんちがいました。紅型染めはいろんな絵があり、なににしようか選ぶのが大変でした。私は首里城の絵に決めました。私は2日目に首里城に行って、自分が知らなかったことも神谷さんがくわしく教えてくれたので、自分の心の中で絶対に首里城で何がおこったのかわすれたくないから首里城の絵を選びました。ぬり方のこつもあって、回しながらぬるといいよって言われたのでそうにぬってみると、むらがなくぬれました。自分の中では今までの工作の中で一番うまくできたと思います。紅型染めを私の一番の宝物にしたいです。はやく沖縄から送られるといいです。いつ送られるのか毎日ドキドキします。家に届いたら、一番最初に家族や学校の友達にじまんをしたいです。
 お昼に神谷さんがいないと入れない米軍基地の中にある「シーメンズクラブ』に行きました。アメリカのハンバーガーが自分の目の前に出てきて、ハンバーガーが大きくてマックの3個分あるみたいでした。大きくて量がたくさんありました。食べてみると、玉ねぎがからかったけど、おいしくて全部食べられました。私はマックよりアメリカのハンバーガーのほうがおいしかったです。いまでもアメリカの大きなハンバーガーを思い出します。私たちの近くにすわっていた外国人の人は大きいハンバーガーと、さらにちがう物を食べてたので私はビックリしました。日本人のしょくよくとぜんぜんちがい、どのくらい食べられるのか気になりました。私はアメリカのハンバーガーが食べられるのも米軍基地に入れたことも、神谷さんのおかげだと思います。神谷さんに「ほんとうにありがとうございました。」という気持ちでお別れしました。
 この4日間とても楽しくて、沖縄の子とも友達になれてとても最高の4日間でした。今でも糸満の子となぎじんの子たちとメールのやりとりをしています。今度は糸満の子たちやなぎじんの人たちが群馬に遊びに来てくれるそうです。はやくその日が来てほしいです。

<保護者より>

 いよいよ出発の朝、郁実は苦手な作文が気がかりで、私は引率という大仕事に少し不安と大好きな沖縄へ行ける喜びと少々複雑な気持ちを表す様な、ドシャ降りの雨での出発となりました。子ども達のテンションは高く、これからの楽しさを押さえきれないように楽しそうな様子でした。普段なら親がつきっきりで行うであろう搭乗手続きもドキドキした様子ながら立派にこなし、飛行機内でもヘッドフォンを装着し堂々としている姿は何だかとても大人びて見えました。
 沖縄に到着してからは沖縄特有の食べ物や風景、地名など実際に見て感じて意識し、学ぶ事が目的であり4日間それぞれの個性的に感じ、成長しているように見えました。
 この学年は本当に仲が良く、お互いを尊重しあい、助け合うことが自然と身についていて
とても羨ましく思いました。しかし他の団体との交流の場では、自分たちの輪からなかなか出る事ができず、別れ際になって別れを惜しむといった場面があり今後の課題であると感じました。
 私個人的には観光では味わえない内容の濃い体験をさせて頂き、心も体も癒させていただきました。なんと言っても、人の温かさに魅力を感じました。
 早朝の散歩から深夜の作文まで指導してくれる小出さん,須賀さん,梨乃ちゃん、本当にお世話になりました。この研修は子ども達にとって必須です。大変だと思いますが、子ども達のために継続してほしいと思います。そして現地で信じられないような手配をしてくれる神谷さん。本当に神様です。
 台風が接近しているにも関わらず、全ての日程が行えた事、子ども達の目まぐるしい成長に立ち会えた事、素敵な人達とたくさん出会えたことに感謝いたします。
ありがとうございました。

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沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート⑥

遠藤 陽奈

すごく短く感じた4日間だったけど、学べたことがたくさんありました。
「戦争のこと」はもちろん「沖縄の歴史」「もてなしの心」「積極性の大切さ」まだまだ私の心の中には思い出と一緒に学んだことが強く残っています。
 また、楽しかった思い出もたくさんありました。
最初ははずかしがって全く交流しようとしていなかった私達だったけど、沖縄で「積極性の大切さ」を学んだことによって、2回目の交流の時は女子も男子も沖縄の人達と交流することができました。1度目は後悔してしまったと言っていたけど、後悔することがなかったのでよかったと思いました。
 海でもたくさん遊びました。沖縄には新町にないものがたくさんあってビックリしたことと、出来ない体験が出来たこともありました。普段の生活では絶対出来ない体験、思い出が出来たことは本当にすごくいいことだなぁと思いました。
 この沖縄で学んだこと、体験したことは大人になっても忘れない大きな思い出になったと思います。私はこの思い出を宝物にしたいと思いました。そして「じゅん」、「かっくん」、「しゅうちゃん」、「ふみや」、「ゆうちゃん」、「いく」、「まい」、「かりん」、そして自分自身。このメンバーで来れたこともうれしかったです。一人一人が思い出を大切にして、今後に生かせたらうれしいです。

<保護者より>

 あっという間の4日間だったと思いますが、沖縄の勉強が少しは出来たのでしょうか?
見る景色はすべて群馬とは違い、陽奈にとって新鮮だったと思います。もう一度行ってみたいという気持ちもあるようで、また違った立場で行けたら見え方も変わってくると思いました。
 沖縄の人達との交流もしっかり出来たようで、今後も続けていけたら良いと思います。
 引率の皆様もお疲れ様でした。ありがとうございました。

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沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート⑤

山崎 祐介

最終の今日は、琉球の館で紅型染めをしました。ぼくは魚の絵の色をぬりました。紅型染めは意外に難しくてにじんでしまったり、他の色とまざったりしました。でも完成したらすごくきれいにできていて、自分なりにすごくいい作品になったと思います。ところどころににじんだところや、他の色とまざったところもあるけれど、そこもそこでいい感じになつていました。ぼかしは琉球の館のスタッフの人がやってくれて、2,3日後にはぼくの家に届いてあとはのりをおとしてかわかすだけなので、完成したのが待ち遠しいです。紅型染めを体験した後は、琉球の館の中にあるおみやげ屋の中を見て回りました。おみやげ屋には紅型染めで染めた服やハンカチなどがあったり、キーホルダーやストラップ、沖縄の海でとれる塩など数多くの品ぞろえでした。ぼくは何を買おうかと迷い、迷った末に買ったものは紅型染めで染めたハンカチです。だれに買ったかというと、おじいちゃんとおばあちゃんです。
9月19日は敬老の日なので、ぼくはおじいちゃんとおばあちゃんへ感謝をこめてハンカチをプレゼントしたいと思います。
 琉球の館を出て、一度スポーツロッジに戻ってバスに乗り、那覇空港に行く前にアメリカのりょう土にあるハンバーガー店に寄り、そこでお昼のハンバーガーを食べました。そこはメンバー制だったので、神谷さんがいないとそのハンバーガー店には行けませんでした。そこのハンバーガーの大きさはすごくて、食べきれるかなと思いました。でも意外とふつうに食べられました。アメリカのハンバーガーはすごくおいしかったです。
 おいしいハンバーガーを食べ神谷さんにお礼を言い神谷さんとわかれた後、那覇空港に行きフリータイムみ後、出発前にしゅうさく君とほたるちゃんなどが送りに来てくれて、少し話して時間になったのでみんなとわかれてANA130便で羽田空港に行き、モノレールや電車に乗り新町へ帰りました。
 長かったようで短かった4日間の沖縄研修では、県境を越えて沖縄や石川の人達と楽しい交流をして、沖縄戦でのつらさや残酷さ学んだ大変濃い4日間だったと思います。この経験を生かして、他の交流や活動などに生かせるようにしたいと思います。

<保護者より>

 4日間の感想文を読んで、沖縄のきれいな海,美ら海水族館,嘉手名基地,首里城,平和祈念公園,資料館など見学をして体験した事でどうおもったにかがあまり伝わってこないのが残念です。スポーツ交流をした人たちとどんな話をしたのか、神谷さんからどんな話を聞いたのかを話してほしいです。4日間で見て聞いて体験した事を文章にするのは難しいかもしれない。沖縄での体験をこれからどう生かしていくのかを考えてもらいたいです。私自身も沖縄戦の事すら知りませんでした。事前研修で群馬の事も話せない有様でした。
 今回沖縄に引率してくれた須賀さん,梨乃さん,齋藤さん,亀井さん,小出さん,ありがとうございました。これからもご指導よろしくお願いします。

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沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート④

武士 文哉

琉球の館での紅型染めは、不死鳥のようなものを作成しました。色のぬり方や色のつけ方などがとても面白かったです。独特の丸書きながらぬるというのは、とても面白かったです。紅型染めは、昔からの伝統や昔の人々の知恵を感じました。
 またお昼は米軍基地の中のレストランのようなところで食べました。そこは領地がアメリカなので中の文字は全て英語でした。きわめつけは、大きさが日本のものに比べてかなり大きいということです。メニューはハンバーガーだったのですが、大きさは日本の1.5倍くらいはありました。トッピングのピクルスもかなり大きかったです。僕はお腹がいっぱいになったので、アメリカの人は毎日こんなサイズのものを食べているのか。すごいなと思いました。普段は入れない場所なのですごく貴重でいい体験になりました。
 4日間の中で特に楽しかったことは、美ら海水族館へ行ったこと、大度浜海岸や美々ビーチで遊んだこと、沖縄の人達とドッジボールをしたことです。とてつもなく大きいジンベイザメがえさを食べているところや、ウミガメやイルカなどの海の生き物はどれもみな感動的でした。熱帯魚を見つけてみたり、みんなで楽しく海で遊んだり、ドッジボールをして汗を流したり・・・。どれもこれも楽しかったです。
 ですが、ぼくが沖縄に行ってきて学んだことはこれだけではありません。戦争,沖縄戦のこともしっかり学びました。このきれいな島、沖縄であんなことが起こっていたとはとても考えられませんでした。平和祈念資料館に展示されていた写真は、1つ1つが悲惨なものばかりでした。中には小さい子が息絶えている写真もありました。今も戦争は、世界のどこかで行われています。今すぐやめてほしい、そう思うことが戦争で亡くなられた方々への敬意の記しなのではないか?せっかく沖縄に行ってきたんだ。多くの人にこのことを伝えなくてはと素直にそう思いました。スポーツ少年団の活動でも、日々の日常生活でも、このことを生かしていくことが自分のためになる。そう思いました。

<保護者より>

 夏休みの最後の4日間は、日常と違う貴重な体験をすることができたようです。
 海なし県の群馬では、周りがすべて海に囲まれている沖縄を興味深く訪れたのではないかと思います。食べ物や空気など、現地に行ってみなければ感じられないことは少なくありません。そうした中で、沖縄の歴史は学校で習うだけではなかなか肌身に感じることはできません。今回の交流の目的を改めて考えた時、帰ってきての感想が、単におもしろかっただけでは済まされないことを、鶴を折りながら本人も充分に認識して参加していたようです。
 戦争が過去のものではなく、今でも平和への強い希求として心の中に引き継がれていること、県内に点在する米軍基地の意味など、これから新聞やテレビせ見聞きする際に、今までとは違った視線で受け止めてくれるものと思います。
 道中いろいろとご迷惑をおかけしたのではないかと思います。この場を借りて、関係者の方々と引率いただいた皆様に感謝を申し上げます。ありがとうございました。

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沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート③

高田 秀太

ぼくは4日目、沖縄の研修に行っていろいろなことを知りました。特に沖縄の戦争が心に残っています。
 沖縄は日本でただ一つの地上戦がおこなわれたところで、戦いを好まない沖縄県民が戦わなくてはいけなくなってしまったのです。ぼくはとてもかわいそうに思いました。沖縄の人たちが自殺をしたがけを見ました。とても高くてこわかったです。こんながけから飛び降りるくらいだから沖縄の人たちは敵の軍においこまれて自殺をしてしまったのだと思います。
 平和祈念資料館では沖縄の戦争の資料がいっぱいありました。その中で写真がとても印象に残りました。死んでしまった人の写真がありました。うたれて殺されてしまった人の写真や火炎放射器やかれて骨までみえて殺された人などいろいろな写真があって、沖縄はこんなことをしていて悲しいと思いました。
 次に実際に体験した人の話を見ました。そこでは死んでしまった人を見てもいちいち止まれないということがかいてあったのでとてもかわいそうに思いました。ぼくは戦争があったことを忘れず、戦争のことを伝えていくことが大切だと思いました。
 沖縄研修はとても勉強になりました。戦争のこと以外にも沖縄県と石川県の人たちとの交流や、海で遊んだことなどいろいろなことがありました。楽しかったです。
また沖縄に行きたいです。

<保護者より>

 子供達に4日間、貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。
 沖縄はリゾート地としての部分が大きい中で、沖縄の歴史,悲惨な戦争の爪痕,米軍基地等、実際には足を運ばなければ感じられない姿を子供なりに感じてきたように思います。
 百聞は一見にしかずと言いますが、平和記念資料館では写真や戦争資料等に、かなり衝撃を受けたようです。学校の教科書では学びとれない生の歴史を学べたのではないかと思います。日頃、安易にゲーム感覚で死ぬと言う言葉を使う子供達に、一石ならぬ大きな石を投じられたと思います。
 又、糸満や石川の人達の温かい心遣いを聞き、感謝の気持ちで一杯です。
 今年の2月にホームステイした金城くんとも再会できて、目には見えない人とのつながりを感じ、沖縄にも親せきができたような気分になりました。
 沖縄の美しい海を守るべく、私達大人が平和のありがたさを伝え続ける事の大切さを感じています。

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沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート②

神久 翔

最終日は夜中の3時までしゅうさく君たちと遊んでいたので、朝またもや寝坊してしまいました。怒られると思ったけど寝坊はダメなことだけど、交流で遊んで寝坊なら交流しなくて起きるよりいいと言ってくださったのでよかったです。
 琉球の館で紅型染めの体験ではシーサーを選びました。服にインクがつくと落ちないと言われたのできんちょうしました。でも、服をよごさなくてよかったです。細かいところなのがあって難しかったです。早く完成したものが見たくてとても楽しみです。
 次に海軍基地に行きました。上の方の人たちが手榴弾で自殺するために使った部屋に、当時のままのその部屋の傷跡があったり、とても大きい船のやまとの模型があって、この船はとても強いけど空からの攻撃には弱くて、普通は守る飛行機があるのになくて、そのせいで中の人がほとんど死んだと聞いて、しっかり守って戦うこともできないくらい負けていたのかなと思いました。ほかにもせまい部屋で立ちながら休けいしたなんて、いやだなと思いました。
 最後の沖縄のご飯はアメリカ基地の中にあるレストランで食べました。ハンバーガーを食べて、とっても大きくてビックリしました。でもとってもおいしかったし、アメリカの基地の中のレストランで食べさせてくれた神谷さんには感謝します。
 四日間の沖縄研修では戦争の傷跡がいろんなところにあったり嘉手空軍基地の回りを飛んでいた戦闘機のうるささなどが心に残っています。
 一番心に残ったことが二つあります。一つは平和祈念公園にあった戦争で傷ついた人の写真が心に残りました。一枚の写真だけでも戦争の怖さと非さんさがわかりとても怖かったです。もう一つは糸満の子と一緒に遊んだりご飯を食べたりしたことです。その中でもドッジボールをしたのが一番楽しかったです。
 四日間、怒られたり遊んだり学んだりしてとても良い体験になりました。沖縄で学んだことは、同級生や後はいにしっかり伝えたいです。とっても楽しかったです。

<保護者より>

 25日AM4:30集合。私も翔も起きられなかったらどうしようという不安で寝られませんでした。そんな感じでの出発でした。思った通り、飛行機に乗れて安心したかのように寝てしまったようでした。もったいないと思いましたが、翔らしいとも思いました。その後の活動が有意義にしてほしいと思いました。
 が、初日では石川県の人達,今帰仁村の人達の交流では積極的に行動出来なかったらしく反省した様子でした。バーベキューをしてもらったり、踊りを披露してくれたり、たくさんのおもてなしにこたえられず残念です。でもきっと心の中には残っていると信じています。
 まだ調子がのってくるのに遅いメンバーなんでしょうか?男子5人一緒の朝寝坊にはびっくりです。引率してくださった方々に申し訳ない気持ちになりました。スミマセンでした。
 水族館では、とても大きな水槽にジンベイザメや大きなマンタの迫力がよかった様です。帰りに着ていたみんなで一緒に買ったTシャツもうれしかったようでセンスがいいでしょって自慢していました。
 首里城では、神谷さんの説明がすごく分かりやすくてよかったと感動していました。その言葉を聞いて、少し安心しました。なぜかというと家ではあまり人の話を聞いているか分からない感じなので・・・。神谷さんの説明も中学生に分かりやすくて上手だと思いますが、やはり聞く体勢でないと入ってこないと思うので、私も聞きたいと思う程でした。
 平和祈念公園,資料館での事は家で話す事もなかったのですが、作文を読むと心の奥にまで印象に残っている様です。戦争の事を勉強しに行くんだ、遊びに行くのとは違うというのを前提だったので、本人も意識が違った様でした。
 やっと調子が乗ってきたかな、作文もなれて書ける様になってきたかなっていう所で最終日に入ってしまった様な感じですね。出来上がったシーサーが来るのが楽しみです。
 本当に今回の事業はスケジュールがいっぱいで、学ぶ時遊ぶ時の内容がこくて、本人もついていくのにいっぱいいっぱいだったかと思います。
 でもどの場面でも、群馬では食べられない物をたくさん食べてきたようで、どの日にもおいしかったってありました。おいしい物が大好きな翔は大喜びです。
 今回引率していただいた小出さん,須賀さん,梨乃ちゃん,齋藤さん,亀井さんにはとってもお世話になりました。一緒に参加した8名のメンバーにも感謝です。
 これからも一緒に活動して行けるこい仲間でいられる事を願います。
 貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。

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沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート①

黒澤 淳

ぼくはこの四日間で、沖縄の人達とたくさん交流ができてとても楽しかったです。
 沖縄の人達や石川県の人達は、今日知り合ったばかりなのに、僕たちを優しくむかえいれてくれました。それに、住所も交換してくれました。なんでこんなに年がはなれているのに話しかけてくれるのかな?と思いました。ぼくもそんなかっこいい大人になりたいと思いました。
 でもこの研修は楽しい事だけではなく、ほんの少し昔の時代にこの沖縄で起こった辛い事もいっぱい知りました。沖縄の人達が犠牲になっただけではなく「赤紙」によって日本全国から沖縄に集められて死んでいった人がいると聞いて、身体が怖くてふるえだしました。
写真も思わず目をそむけたくなるようなものがいっぱいありました。だけど犠牲になった人達の事を少しでも知れたらと思って写真を見ました。
 そんな辛い出来事が昔の沖縄で起こったなんてとても信じられません。なんでこんなにきれいな海や人が虫ケラの様に殺されていったのか解りません。でも今ぼく達が立っていられるのは、その亡くなっていった人の犠牲の上に立っていると思うので、犠牲になった人達の分まで生きようと思います。
 この経験をこれからずっと先まで生かしていきたいです。

<保護者より>

 お陰様で今回の沖縄研修旅行では多くの事を学び体験してきた様です。
6年間、主としてSVCを通じ、仲良しのメンバーと一緒に行けたこと、小出さん,須賀さん,梨乃ちゃん,亀井さん,齋藤さんといった最高の指導者・サポーターの方々にご同行頂き、無事なし終えたことが何よりと感謝申し上げます。
 沖縄・石川のスポーツクラブの人との交流。多くの人達の温かい心遣いにより、楽しさも一層増した様です。幸いにも心配された天候にも運よく恵まれ、引率の方から送っていただいた写メールは青空。青い空に青い海、美味しい食べ物に温かい人々。これ以上のもてなしはあり得ないでしょう。
 そして初めて戦争というものと本格的に向き合った夏。今まで学校の授業ではもちろん、TVや映画などではおぼろげながら戦争がどういったものか学んでいたとは思います。お叱りを受けることは十分承知していますが、私自身が見たくないものは自ら見ることはしない主義ですので、今まで家庭において戦争に関連する施設に出向いたり、映像や書物などで学ぶ機会も敢えて与えてきませんでした。自分が子供を持ったことにより、その気持ちは増大しました。自分の子供と同じ年代の子供達の写真が並んだ祈念館には、とても訪れる気がしません。涙が止まらないからです。そこにある写真の子供達、そしてその両親の気持ち、特に同性の母親の気持ちを考えたらいたたまれなくなります。私はどんなことをしてでも淳を
戦場には行かせません。どんな手段でも・・・。淳を守るためであれば矛盾しているかもしれませんが私が戦地に赴くことも拒まないでしょう。戦時中、全ての両親がそう思ったと同じに。
 こんな意気地のない親ですので、今回この様な勉強の機会を与えていただいたことに深謝いたします。淳は研修を終えて戦争についての感想を口にしませんが、淳の感想文の最後に「少しのことですぐ怒るのは止めよう。許すことを覚えよう。」みたいなことが書いてありました。恥ずかしながら私にとっても大切なことの様です。朝から一日中、まるで装甲車のごとく周りのモノをなぎ倒しながら歩いてきた私も、この言葉を胸に一呼吸おいて言動を考える余裕を持ちたいと思います。
 今回のこの研修旅行で学んだことが淳の記憶の引き出しに蓄積され、必要な時に思い出されることを願います。引き出しは多ければ多いほどいい。また今回も指導者の皆さんに引き出しの数を増していただきました。
本当にありがとうございました。

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2011年ドイツ引率指導者感想文②

小島 千佳

8年前にこの交流でニュルンベルグを訪問し、まさか引率指導者という立場で参加することになるとは思ってもいませんでした。正直、ドイツ語だって英語だって周りが思っている以上に話せるわけではないし、今回は言葉がわかる優秀な若者がたくさん参加するとのことだったので、わたしは何のために推薦されたのかわかりませんでした(後から知ったのは、今回は近ちゃんが行けないので、代理になったということ)。

恥ずかしい話、引率指導者なのに上に書いたような気持ちで臨んでおりました。しかし、わたしにはわたしのことを待ってくれている人たちがドイツにはたくさんいます。言葉は決してキレイに話すことはできませんが、コミュニケーションや人当たりには自信があります。

今回派遣された団員たちは、ドイツでたくさんの刺激、たくさんの“初めて”があったことと思います。わたしが感じたことの一つにドイツのユースメンバーはどの子も、自分の街についてきちんと話すことができます。建物一つにしても、きちんと説明することができます。日本のメンバーはどうでしょうか?わたしも高校生の時に参加したのでわかりますが、日本のメンバーだって、自分の住んでる街や日本について知ってることや、教えたいことはあるのです。ただ、言葉が操れないのです。今回参加したメンバーもそぉだったと思います。事前研修のときにも言いましたが、わたしはこの交流に、言葉に自信がない子どもたちにぜひ参加してほしいし、参加するべきだと思っています。外国語が話せるに越したことはないですが、自信がないからこそ、新しい自分を発見できたり、今まで興味がなかった海外に興味を持って視野を広くすることができます。

参加した子どもたちはそれぞれいろんなことを感じ、物ではないお土産をたくさん持ち帰りました。
それらの経験を思い出だけに終わらせないでください。この交流に絶対携わりなさいとは言いません(現実問題、厳しいこともありますから)。ただ出来る範囲で携わり、これから派遣のチャンスがある子どもたちに経験したことを伝えてほしいのと、今回の出会いを大切にし、必ずドイツでお世話になったメンバーに恩返しをしてください。人には、向いている、向いていないが必ずありますから、向いていないことを無理にしなさいとはいいません。ただ、経験として無駄にしてほしくありません。

これからもこの交流を継続し、たくさんの子どもたちに素晴らしい経験、出会いをしてほしいです。継続するのに、後継者はもちろんですが、継続する環境が整わないといけないと思います。引率指導者は現在、本業を長期的に休み、完全ボランティアで、全額ではありませんが参加費を支払っています。この交流に関わらず、指導者側をもう少しサポートするシステムがないと、なかなか後継者を育てるのは難しいのかなと個人的には思います。

最後になりますが、事前研修やお忙しい中での見送りから(山室家は成田空港まで見送りにきてくれました)、出迎えまでしてくださった保護者の皆様、ありがとうございました。そして役員の皆様、ありがとうございました。言葉整いませんが、わたしの感じたこととさせていただきます。今後ともご協力よろしくお願いします。

カテゴリー: ドイツ活動報告 |