沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート③

高田 秀太

ぼくは4日目、沖縄の研修に行っていろいろなことを知りました。特に沖縄の戦争が心に残っています。
 沖縄は日本でただ一つの地上戦がおこなわれたところで、戦いを好まない沖縄県民が戦わなくてはいけなくなってしまったのです。ぼくはとてもかわいそうに思いました。沖縄の人たちが自殺をしたがけを見ました。とても高くてこわかったです。こんながけから飛び降りるくらいだから沖縄の人たちは敵の軍においこまれて自殺をしてしまったのだと思います。
 平和祈念資料館では沖縄の戦争の資料がいっぱいありました。その中で写真がとても印象に残りました。死んでしまった人の写真がありました。うたれて殺されてしまった人の写真や火炎放射器やかれて骨までみえて殺された人などいろいろな写真があって、沖縄はこんなことをしていて悲しいと思いました。
 次に実際に体験した人の話を見ました。そこでは死んでしまった人を見てもいちいち止まれないということがかいてあったのでとてもかわいそうに思いました。ぼくは戦争があったことを忘れず、戦争のことを伝えていくことが大切だと思いました。
 沖縄研修はとても勉強になりました。戦争のこと以外にも沖縄県と石川県の人たちとの交流や、海で遊んだことなどいろいろなことがありました。楽しかったです。
また沖縄に行きたいです。

<保護者より>

 子供達に4日間、貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。
 沖縄はリゾート地としての部分が大きい中で、沖縄の歴史,悲惨な戦争の爪痕,米軍基地等、実際には足を運ばなければ感じられない姿を子供なりに感じてきたように思います。
 百聞は一見にしかずと言いますが、平和記念資料館では写真や戦争資料等に、かなり衝撃を受けたようです。学校の教科書では学びとれない生の歴史を学べたのではないかと思います。日頃、安易にゲーム感覚で死ぬと言う言葉を使う子供達に、一石ならぬ大きな石を投じられたと思います。
 又、糸満や石川の人達の温かい心遣いを聞き、感謝の気持ちで一杯です。
 今年の2月にホームステイした金城くんとも再会できて、目には見えない人とのつながりを感じ、沖縄にも親せきができたような気分になりました。
 沖縄の美しい海を守るべく、私達大人が平和のありがたさを伝え続ける事の大切さを感じています。

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沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート②

神久 翔

最終日は夜中の3時までしゅうさく君たちと遊んでいたので、朝またもや寝坊してしまいました。怒られると思ったけど寝坊はダメなことだけど、交流で遊んで寝坊なら交流しなくて起きるよりいいと言ってくださったのでよかったです。
 琉球の館で紅型染めの体験ではシーサーを選びました。服にインクがつくと落ちないと言われたのできんちょうしました。でも、服をよごさなくてよかったです。細かいところなのがあって難しかったです。早く完成したものが見たくてとても楽しみです。
 次に海軍基地に行きました。上の方の人たちが手榴弾で自殺するために使った部屋に、当時のままのその部屋の傷跡があったり、とても大きい船のやまとの模型があって、この船はとても強いけど空からの攻撃には弱くて、普通は守る飛行機があるのになくて、そのせいで中の人がほとんど死んだと聞いて、しっかり守って戦うこともできないくらい負けていたのかなと思いました。ほかにもせまい部屋で立ちながら休けいしたなんて、いやだなと思いました。
 最後の沖縄のご飯はアメリカ基地の中にあるレストランで食べました。ハンバーガーを食べて、とっても大きくてビックリしました。でもとってもおいしかったし、アメリカの基地の中のレストランで食べさせてくれた神谷さんには感謝します。
 四日間の沖縄研修では戦争の傷跡がいろんなところにあったり嘉手空軍基地の回りを飛んでいた戦闘機のうるささなどが心に残っています。
 一番心に残ったことが二つあります。一つは平和祈念公園にあった戦争で傷ついた人の写真が心に残りました。一枚の写真だけでも戦争の怖さと非さんさがわかりとても怖かったです。もう一つは糸満の子と一緒に遊んだりご飯を食べたりしたことです。その中でもドッジボールをしたのが一番楽しかったです。
 四日間、怒られたり遊んだり学んだりしてとても良い体験になりました。沖縄で学んだことは、同級生や後はいにしっかり伝えたいです。とっても楽しかったです。

<保護者より>

 25日AM4:30集合。私も翔も起きられなかったらどうしようという不安で寝られませんでした。そんな感じでの出発でした。思った通り、飛行機に乗れて安心したかのように寝てしまったようでした。もったいないと思いましたが、翔らしいとも思いました。その後の活動が有意義にしてほしいと思いました。
 が、初日では石川県の人達,今帰仁村の人達の交流では積極的に行動出来なかったらしく反省した様子でした。バーベキューをしてもらったり、踊りを披露してくれたり、たくさんのおもてなしにこたえられず残念です。でもきっと心の中には残っていると信じています。
 まだ調子がのってくるのに遅いメンバーなんでしょうか?男子5人一緒の朝寝坊にはびっくりです。引率してくださった方々に申し訳ない気持ちになりました。スミマセンでした。
 水族館では、とても大きな水槽にジンベイザメや大きなマンタの迫力がよかった様です。帰りに着ていたみんなで一緒に買ったTシャツもうれしかったようでセンスがいいでしょって自慢していました。
 首里城では、神谷さんの説明がすごく分かりやすくてよかったと感動していました。その言葉を聞いて、少し安心しました。なぜかというと家ではあまり人の話を聞いているか分からない感じなので・・・。神谷さんの説明も中学生に分かりやすくて上手だと思いますが、やはり聞く体勢でないと入ってこないと思うので、私も聞きたいと思う程でした。
 平和祈念公園,資料館での事は家で話す事もなかったのですが、作文を読むと心の奥にまで印象に残っている様です。戦争の事を勉強しに行くんだ、遊びに行くのとは違うというのを前提だったので、本人も意識が違った様でした。
 やっと調子が乗ってきたかな、作文もなれて書ける様になってきたかなっていう所で最終日に入ってしまった様な感じですね。出来上がったシーサーが来るのが楽しみです。
 本当に今回の事業はスケジュールがいっぱいで、学ぶ時遊ぶ時の内容がこくて、本人もついていくのにいっぱいいっぱいだったかと思います。
 でもどの場面でも、群馬では食べられない物をたくさん食べてきたようで、どの日にもおいしかったってありました。おいしい物が大好きな翔は大喜びです。
 今回引率していただいた小出さん,須賀さん,梨乃ちゃん,齋藤さん,亀井さんにはとってもお世話になりました。一緒に参加した8名のメンバーにも感謝です。
 これからも一緒に活動して行けるこい仲間でいられる事を願います。
 貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。

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沖縄地域間交流派遣事業 団員活動報告ノート①

黒澤 淳

ぼくはこの四日間で、沖縄の人達とたくさん交流ができてとても楽しかったです。
 沖縄の人達や石川県の人達は、今日知り合ったばかりなのに、僕たちを優しくむかえいれてくれました。それに、住所も交換してくれました。なんでこんなに年がはなれているのに話しかけてくれるのかな?と思いました。ぼくもそんなかっこいい大人になりたいと思いました。
 でもこの研修は楽しい事だけではなく、ほんの少し昔の時代にこの沖縄で起こった辛い事もいっぱい知りました。沖縄の人達が犠牲になっただけではなく「赤紙」によって日本全国から沖縄に集められて死んでいった人がいると聞いて、身体が怖くてふるえだしました。
写真も思わず目をそむけたくなるようなものがいっぱいありました。だけど犠牲になった人達の事を少しでも知れたらと思って写真を見ました。
 そんな辛い出来事が昔の沖縄で起こったなんてとても信じられません。なんでこんなにきれいな海や人が虫ケラの様に殺されていったのか解りません。でも今ぼく達が立っていられるのは、その亡くなっていった人の犠牲の上に立っていると思うので、犠牲になった人達の分まで生きようと思います。
 この経験をこれからずっと先まで生かしていきたいです。

<保護者より>

 お陰様で今回の沖縄研修旅行では多くの事を学び体験してきた様です。
6年間、主としてSVCを通じ、仲良しのメンバーと一緒に行けたこと、小出さん,須賀さん,梨乃ちゃん,亀井さん,齋藤さんといった最高の指導者・サポーターの方々にご同行頂き、無事なし終えたことが何よりと感謝申し上げます。
 沖縄・石川のスポーツクラブの人との交流。多くの人達の温かい心遣いにより、楽しさも一層増した様です。幸いにも心配された天候にも運よく恵まれ、引率の方から送っていただいた写メールは青空。青い空に青い海、美味しい食べ物に温かい人々。これ以上のもてなしはあり得ないでしょう。
 そして初めて戦争というものと本格的に向き合った夏。今まで学校の授業ではもちろん、TVや映画などではおぼろげながら戦争がどういったものか学んでいたとは思います。お叱りを受けることは十分承知していますが、私自身が見たくないものは自ら見ることはしない主義ですので、今まで家庭において戦争に関連する施設に出向いたり、映像や書物などで学ぶ機会も敢えて与えてきませんでした。自分が子供を持ったことにより、その気持ちは増大しました。自分の子供と同じ年代の子供達の写真が並んだ祈念館には、とても訪れる気がしません。涙が止まらないからです。そこにある写真の子供達、そしてその両親の気持ち、特に同性の母親の気持ちを考えたらいたたまれなくなります。私はどんなことをしてでも淳を
戦場には行かせません。どんな手段でも・・・。淳を守るためであれば矛盾しているかもしれませんが私が戦地に赴くことも拒まないでしょう。戦時中、全ての両親がそう思ったと同じに。
 こんな意気地のない親ですので、今回この様な勉強の機会を与えていただいたことに深謝いたします。淳は研修を終えて戦争についての感想を口にしませんが、淳の感想文の最後に「少しのことですぐ怒るのは止めよう。許すことを覚えよう。」みたいなことが書いてありました。恥ずかしながら私にとっても大切なことの様です。朝から一日中、まるで装甲車のごとく周りのモノをなぎ倒しながら歩いてきた私も、この言葉を胸に一呼吸おいて言動を考える余裕を持ちたいと思います。
 今回のこの研修旅行で学んだことが淳の記憶の引き出しに蓄積され、必要な時に思い出されることを願います。引き出しは多ければ多いほどいい。また今回も指導者の皆さんに引き出しの数を増していただきました。
本当にありがとうございました。

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2011年ドイツ引率指導者感想文②

小島 千佳

8年前にこの交流でニュルンベルグを訪問し、まさか引率指導者という立場で参加することになるとは思ってもいませんでした。正直、ドイツ語だって英語だって周りが思っている以上に話せるわけではないし、今回は言葉がわかる優秀な若者がたくさん参加するとのことだったので、わたしは何のために推薦されたのかわかりませんでした(後から知ったのは、今回は近ちゃんが行けないので、代理になったということ)。

恥ずかしい話、引率指導者なのに上に書いたような気持ちで臨んでおりました。しかし、わたしにはわたしのことを待ってくれている人たちがドイツにはたくさんいます。言葉は決してキレイに話すことはできませんが、コミュニケーションや人当たりには自信があります。

今回派遣された団員たちは、ドイツでたくさんの刺激、たくさんの“初めて”があったことと思います。わたしが感じたことの一つにドイツのユースメンバーはどの子も、自分の街についてきちんと話すことができます。建物一つにしても、きちんと説明することができます。日本のメンバーはどうでしょうか?わたしも高校生の時に参加したのでわかりますが、日本のメンバーだって、自分の住んでる街や日本について知ってることや、教えたいことはあるのです。ただ、言葉が操れないのです。今回参加したメンバーもそぉだったと思います。事前研修のときにも言いましたが、わたしはこの交流に、言葉に自信がない子どもたちにぜひ参加してほしいし、参加するべきだと思っています。外国語が話せるに越したことはないですが、自信がないからこそ、新しい自分を発見できたり、今まで興味がなかった海外に興味を持って視野を広くすることができます。

参加した子どもたちはそれぞれいろんなことを感じ、物ではないお土産をたくさん持ち帰りました。
それらの経験を思い出だけに終わらせないでください。この交流に絶対携わりなさいとは言いません(現実問題、厳しいこともありますから)。ただ出来る範囲で携わり、これから派遣のチャンスがある子どもたちに経験したことを伝えてほしいのと、今回の出会いを大切にし、必ずドイツでお世話になったメンバーに恩返しをしてください。人には、向いている、向いていないが必ずありますから、向いていないことを無理にしなさいとはいいません。ただ、経験として無駄にしてほしくありません。

これからもこの交流を継続し、たくさんの子どもたちに素晴らしい経験、出会いをしてほしいです。継続するのに、後継者はもちろんですが、継続する環境が整わないといけないと思います。引率指導者は現在、本業を長期的に休み、完全ボランティアで、全額ではありませんが参加費を支払っています。この交流に関わらず、指導者側をもう少しサポートするシステムがないと、なかなか後継者を育てるのは難しいのかなと個人的には思います。

最後になりますが、事前研修やお忙しい中での見送りから(山室家は成田空港まで見送りにきてくれました)、出迎えまでしてくださった保護者の皆様、ありがとうございました。そして役員の皆様、ありがとうございました。言葉整いませんが、わたしの感じたこととさせていただきます。今後ともご協力よろしくお願いします。

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2011年ドイツ引率指導者感想文①

小 出 利 一

7月31日早朝の地震で、ドイツへ派遣される団員全員が成田空港近くのホテルで目覚めました。東日本大震災が起きたために新町単独になった今回のニュルンベルク市訪問の特別な夏が今年を象徴する地震で始まりました。
 今回の訪問は、ベルリン訪問と国会議員と面会もある特別な訪問になっています。
派遣団員は、女子7人・男子3人と初めて派遣団員が10人になりました。指導者も小島千佳を加えて初の2人体制としました。
 団員全員の顔が笑顔になっています。これは、今から始まる新しい自分達の旅を期待している笑顔だと感じました。青少年は経験をしたことがないドイツ・ニュルンベルク市での生活で何を学び、日本の良さ、ニュルンベルク市の良さを一体いくつ感じてくれるのか? 8月12日の帰国時にどんな成長を見せてくれるのかを期待してテイクオフ
【3年前と大きく違ったドイツの自然エネルギー】
 景色で印象に残ったことを最初に報告します。ともかく、風力発電用の風車と太陽光発電パネルがものすごい勢いで増加していました。脱原発をいち早く宣言できる下地を観たと感じました。このようなことから推測して、日本で発生した大地震・津波・原発事故に対するドイツ人の反応が危機感ある素早い行動になったことを理解できました。
【素晴らしい友人たちの心遣い】
 今回の訪問は、震災の時に受けた日本に対するたくさんの支援に対してお礼を伝える重要な役割を背負っていることは派遣団員たちに自覚させて訪独しました。
 ニュルンベルク駅で最初に会ったドリスさんたちは、私のいつもの笑顔を見ても「本当に地震と原発の影響は大丈夫か?」といきなり質問が来ました。ドリスさんのご両親は、駅のホームで「元気そうで本当に良かった」と涙ぐみながら強く抱きしめてくれました。女子団員は、お店の人に首飾りをプレゼントされて「これは、日本の人達のお守り。あなたが代表して持っていきなさい」と言われたそうです。その女子団員は「感動して嬉しくて泣きそうになった。そうしたら、笑顔で頑張れと言われて本当に人の優しさが嬉しかった。」と話してくれました。今回の派遣研修は、全ての団員がドイツの人達の心からの優しさを強く体験した2週間になりました。
【大切な普段の生活】
 プログラムの中で、ニュルンベルクの青少年と新町の青少年が一緒に料理をする時間がありました。ニュルンベルクの青少年たちの多くが、手際よく準備をして料理をしている姿に触れて、普段の生活で自立するための教育がなされていることを強く感じました。男の子も女の子も関係なく、実に見事な包丁さばきに感心しました。
また、8月10日は世界的に株価が暴落しました。その時、ニュルンベルク市の青少年たちは、熱く経済問題についてミハエル氏を交えて同世代と議論をしていました。この感覚は、新町の高校生達は、驚きを持って見つめていました。スポーツだけでなく、様々なことに興味を持って議論できる同世代を見て、新町の青少年たちが何を感じたのか?
普段から生活に密着した生活力が育まれていることを改めて痛感しました。

【国会議事堂の作り方で表現している真の民主主義】
私たちは、この交流が始まって初めて首都ベルリンを訪問しました。国会議事堂の見学は、事前の氏名登録、パスポートも必要とあって外国人の見学はかなり難しい状態でした。以前は、テロ対策がなかったことから誰でも見学できたようです。ドイツの国会議事堂の中央部のドームは、議場の真上にあって、国民が国会議員を見下ろして見守る造りになっていました。これは、国民が国の動きをしっかり見ることができるように国会議員の活動を常に見ている思想から設計されたそうです。日本の国会議員のように勘違いした国会議員は育ちづらい環境ができた真の民主主義を表現していました。

【ベルリンの壁の悲劇と新しいベルリン】
 ベルリンの壁が崩壊して20年が経過しましたが、壁によって生じた悲劇が消えたわけではなく、国の体制の違いによって悲劇が生まれ、同じ国民同士が敵対しなければならなった歴史の重みを感じました。壁の博物館の学芸員へ「なぜ、壁が必要だったのか」という質問に対して「1日3千人が東側から西側へ流入していた。その理由は経済格差と家族離散にあった。つまり、東側は人材流出を防ぐ必要があった。」という回答でした。私は、壁は悲しみと苦しみを作り出したが、なにも生み出すことがない歴史の遺産だと犠牲者の顔写真を見ながら思いました。同じ、第二次世界大戦の敗戦国の日本。仮に、ベルリンの壁と同じような壁が東京にあったらと思うとゾッとします。しかし、東京にはないけれど、沖縄には日本とアメリカの壁(フェンス)が未だに存在していることを忘れてはいけない事実でもあり。複雑な感情になりました。
新しいベルリンを象徴する建物はたくさんある。国会議事堂・首相官邸・中央駅などすべてが生まれ変わったベルリンを表していました。特に道路整備は1日300か所も行っている現実があって、まだまだ成長する力強いベルリンも感じました。

【最高の友人とホストファミリー】
 今回のプログラムも、昨年、新町を訪問した青少年が中心になって企画して運営してくれました。その青少年をローター本部長、ドリスさん、ミハエルさんが支えてくれていました。新町にも良い手法を示してくれて新町の青少年達に良い影響がありました。また、今回も素晴らしいホストファミリーのみなさんが新町の青少年を支えてくれたことに感謝しています。私たちには、心から私たちのことを考えて心配してくれる最高の友人がドイツにいることを確信できました。距離は9千キロも離れていますが、心はすぐ近くにいる友人。そして、本当の家族のように温かく優しいホストファミリーにも出会えました。他人の大切な子息を預かる大変さを理解しているだけに本当に感謝しています。ホストファミリーのみなさん、新町の青少年達がプライベートで訪問しても温かく迎えてください。新町のホストファミリーもニュルンベルク市の青少年達がプライベートで訪問してくれることを楽しみに待っています。

【大好きなニュルンベルク市との青少年交流の継続】
 1999年から始まったニュルンベルク市と新町の青少年交流。私は、この青少年交流を受入事業・派遣事業を各5回経験しましたが、この青少年交流が大変有意義な交流だと確信しています。今後もこの青少年交流が継続できるように強く望んでいます。そのためには、私と同じ思いでニュルンベルク市が大好きな人材を育成していきたいと思います。ニュルンベルク市スポーツユーゲントみなさんありがとう!

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2011年ドイツ派遣団員感想文⑩

松田幸音

ドイツは三度目なので、空港に着いたときのあのドイツ特有のパンの匂いが懐かしかったと同時に、本当にドイツに来たのだな、と思いました。ただ、今回はSVCの団員として来たこと、観光ではなく震災後の日本の様子を伝えることを目的としていることが違っていました。しかしドイツに来ることはとても嬉しいことだったので、まったく不安なきもちはありませんでした。ドイツに着いた最初の夜に歓迎パーティーがありました。そこで私は挨拶をしました。凄く緊張しましたが、その場の温かい雰囲気が自然と緊張をほぐしてくれました。ドイツ人のこの温かさが私は好きです。私がスポーツをしている時も、いいプレーが出来たら心から喜びを表してくれ、失敗しても責めることなく頑張ろうとした気持を褒めてくれます。外国には沢山のプラスの言葉が溢れていますが、日本語に訳すことは難しいです。「Good job!」「No problem」などの言葉の響きが私はいいと思います。私がドイツに住んでいた時は、日本の生活をしていました。今回ドイツにホームステイをして、ドイツの文化を知ることができました。私にとって特に興味深かったのは食文化です。調理中にもフライパンをふることはないなど、日本との相違点がみられました。そしてやはりドイツの食べ物はおいしいのです。クヌーデル、ザワーブラーテン、プレッツェル、ヨーグルト、チーズ、ハム、シュニッツェル、シュペッツェレ、ブルスト、カトフェルザラット、ポムス、パンケーキ入りのスープ、ズッキーニのカシューナッツとチーズのせ、アップルケーキ、ロールケーキ。とにかく美味しいものでいっぱいのドイツ。お菓子もおいしい、料理もおいしい、デザートもおいしい。3要素そろい踏みでした。そしてドイツの食材は何もかもが大きかったです。その大きい食材を余すとこなく使うのもドイツのお国柄だと思います。
今回初めて発見したドイツの好きじゃないところは、浄水場です。未だに鼻があの臭いを覚えているほど強力な匂いでした。ニュルンベルクの浄水場は必要だと分かっていてもやはりあの臭いは苦手です。
私は元々スポーツが得意ではありません。それ故に体を動かすということはあまり好きではありませんでした。しかし今回色々なスポーツ・アクティビティを体験させていただいて、体を動かしていて楽しいと思えるようになりました。日本にはない、誰でも楽しめるスポーツ施設が沢山あるので、日本にもそういう施設を造ると私のようなスポーツの苦手な人でも体を動かす楽しさが分かるのではないでしょうか。
私にとってこれが三度目となるドイツ渡航でした。懐かしかったことと、新しく見つけたことと、改めて思ったことと、沢山の思い出があります。そのどれもが私にとっては大切で、そしてこれからもずっと覚えていたい思い出です。最後の日は憂鬱で仕方がなかったのですが、笑顔で別れることが出来ました。伝えたいこともきちんと言えて、ドイツの方々にも沢山の言葉をもらいました。心の底から感謝しています。また何度でも機会があったらドイツに行こうと思います。その時は今回お世話になったドイツの皆さんにも笑顔で会いに行きます。

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2011年ドイツ派遣団員感想文⑨

山室 亥

7/31
早朝の地震と成田空港に両親が来たことにビックリした。それからは何も変わったことのなくドイツに出発した。飛行機の中では、ドイツに着いた後、ホストファミリーとどんな会話をしようかやちゃんと自分の意思が伝わるだろうかとドキドキしていた。しかし、飛行機で酔うというハプニングで考えていたことを忘れてしまった。ドイツに着いて最初に思ったことは、「寒い」だった。その後の電車での移動中はワクワクとドキドキと不安が入り混じった状態だった。電車がニュルンベルクに着いた時、僕を呼ぶ声が聞こえた。僕が英語で挨拶をしようとしたらJanineが「はじめまして」と日本語で言ってくれたので、日本語が通じる人がいると思った。しかし、世の中そんなに甘くないもので、その後英語の挨拶になった。でも、自分のために日本語を少しでも覚えてもらえて嬉しかった。その後のWelcomepartyは言葉が通じずあたふたしながら食事をした。とてもおいしかった。ホストファミリーの家に行った後は、トイレなどの場所を教えてもらい寝た。
8/1
朝食はケーキとパンだった。おいしかった。集合場所へはバスと地下鉄だった。地下鉄は運転手の居ない電車だったのでビックリした。集合場所についた後に少しお土産を見ていた。しかし、金銭感覚がイマイチよく分からなかった。市役所の前に行った時は、本当に市役所かどうかを疑いたくなるような外見だった。しかし、市役所内はとても綺麗だった。市長さんへの表敬訪問では、ニュルンベルク市全体で歓迎されていることを感じながらみんなで写真を撮りまし。その後の地下の穴監獄。市役所の地下だとは予想もしていなかった。拷問道具など、考えたくも無い物が合った。中世を忘れない為の物だろうと思った。その後はニュルンベルクの古い街のオリエンテーリングをやった。GPSがついている機械でポイントに行き問題を解くものだった。街並みをよく見た。とても綺麗だった。大きな問題もなく、無事に今日のスケジュールを終えた。フリータイムでは、お土産を少し買った。やはり、金銭感覚が分からなかった。家に帰った後は、家族とWIIをやった。そこは日本と変わらなかった。
8/2
朝食はパンだった。この日の、ドイツ料理は見た目以上に量があることに気がついた。今日のお昼ご飯は、みんなで作るものだった。もちろん自分は料理には自信が無い。けれど、出来ることをやった。皿だしやスプーンやフォークを出したりと、Kevinと協力した。とても仲がよくなったと思った。ニュルンベルクの仲間と作った昼食はとてもおいしかった。その後は、ニュルンベルクの仲間と卓球をした。今回もプログラムを通してニュルンベルクの同世代が一緒だから楽しい。常にKevinは卓球をやったことがないと言っていたのでとても大変そうだった。卓球をやっている間もKevinと話しをしていた。初日のようにあたふたする事もなく会話できた。すごく嬉しかった。その後はバーベキュー。肉は大きいし、おいしかった。この時にスプライトのおいしさに気がついた。南中ソーランを踊った後はKevinが「ソーラン、ソーラン」とよく言っていた。家に帰った後、この日は、サッカーのゲームをした。

8/3
この日はベルリンへ。ベルリン市内はとても人が多かった。ベルリン市内をバスでまわった後は、日本でいうところの、首相官邸と議員会館と国会議事堂に行った。首相官邸の前を普通に通れることにはビックリだった。議員会館で昼食を取った。議員会館を出たときに、忘れ物をしたことに気がついた。自分の人生で一生忘れることは無いであろう出来事だった。ミハエルさんやローターさんにはとても感謝しました。国会議事堂の中はおしゃれな感じだった。その後の夕飯はポテトの物だった。おいしかった。
8/4
朝食の時、リスを見た可愛いかった。ベルリン観光は、色々な所で少しバスを降りた。ベルリンの壁は、衝撃的だった。その後は博物館に行った。博物館の物はよく分からなかった。しかし、なんだか楽しかった。神様についての博物館だったと思う。
8/5
ベルリンの壁を見た。ベルリンの壁は1枚だと思っていた。しかし2枚だった。2枚の間の死の地帯でたくさんの人が亡くなっていた。日本に居たときは、全然そんなことを考えたこともなかった。目の当たりにして、凄い衝撃を受けた。平和な国に生きていることに感謝したい。
8/6
今日はロッククライミングをした。物凄く体力を使った。しかし、ドイツの人は、疲れたと言っておきながらも、どんどんと登っていた。力の差を感じた。昼食はピザだった。二切れでギブアップなほどの大きさだった。その後は、チームでのゲームだった。息を合わせるのが大変だった。この日のプログラムが終わった後に、Kevinに「サプライズがある」と言われたので楽しみにしていた。サプライズは、トウモロコシ畑にある迷路だった。30分くらい歩いたら、運動していたためかとても疲れた。でも楽しかった。その後、オープンエアコンサートに行った。とても壮大だった。でも途中で心地良くなってしまって、寝てしまった。ちょっと後悔した。
8/7
ホストファミリーデイの今日は、鍾乳洞とお祭りに連れて行ってもらった。鍾乳洞では、説明の人の話が全く理解できなかった。Kevinに英語で教えてもらった。それでも曖昧だった。次にKevinに合うときの為に英語をもっと出来るようにしようと思った。お祭りでは、古い騎士やドワーフのような格好をした人が居た。そこにあった大道芸の体験コーナーにKevinが興味津々だった。そしてKevinは少し練習すれば大道芸が出来るのではないかと思った。

8/8
今日は朝から焦った。なぜなら、集合時間に間に合うのかどうか分からないくらい、ゆっくりとした感じだったからだ。地下鉄の駅では、普通の人が入れない所から電車に乗り、運転席に乗せてもらった。今日は、みんなとは別行動なのか!と思ったりもした。幾つかした駅でみんなが見えた時は、驚いた。こうして僕は、すごい登場をした。その後、地下鉄の車庫に行った。よく分からなかったが車輪とブレーキの事くらいは分かった。次は路面電車だった。とても楽しかった。路面電車の博物館に行った。昼食を食べて、色々な物を見てまわった。楽しかった。しかし、ここでもって忘れ物をした。すごく焦った。その後に、水を再利用出来るようにするところに行った。とても臭いがきつかった。勉強にはなったが、あの臭いはもう勘弁だ。でも、環境を考えたシステムだったと思う。家に帰った後、荷物をまとめ始めた。とても悲しかった。
8/9
今日は、ソルトレイクという塩水のプールへ行った。足をかきむしった後だったので、とてもしみた。後は、ほとんど浮いていた。とても、疲れがとれた気がした。この日に荷物をまとめた。とても帰りたくなかった。しかし、明日起きられないのも大変なので寝た。
8/10
今日は、聖母教会へ行った。協会で、パイプオルガンの演奏を初めて生で聞いた。すごく大きくて綺麗な音だった。ソプラノ歌手の人も、綺麗な声で感動した。その後、東日本大震災の犠牲者へお祈りをした。ドイツの人も一緒に、日本の為に一緒にお祈りをしてくれた。その優しさがとても嬉しかった。昼食を食べた後は、影絵を作った。少し難しかった。影絵を作った後は、フリータイムだったので、Kevinと一緒に買い物をした。家に帰り、Kevinと遊んだ。そして、サヨナラパーティーの時間になった。サヨナラパーティーでは、色々な人の挨拶で1時間を使った。その後の夕食。とてもおいしかった。そして、南中ソーランの発表の時、僕はまたしてもやってしまった。法被を忘れてしまった。その問題は、なんとか解決した。その後は、みんなでTシャツにサインを、書き合った。サイン会も片付けも終わり、家に帰って、Kevinと遊んだ。2時くらいには寝てしまった。本当は寝たくなかった。
8/11
ドイツを出発する日が来てしまった。帰りたくなかった。Kevinやホストファミリーと泣きながら話した。とても良いホストファミリーだった。また、Kevinやホストファミリーに会いに行こうと思った。
ゆっくりだがKevinにメールを出している。今は、英語を間違える事もある。でも、繋がりを大切にしたい。こんな体験が出来て、とても貴重だと思う。このような体験を多くの人にして欲しい。

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2011年ドイツ派遣団員感想文⑧

佐々木花帆

今回私は2011年のドイツ国際交流に参加させていただきました。
初めてのドイツ、初めてのヨーロッパということで、とても緊張していました。

プログラムを渡されたときに、ベルリンに行くということが書いてあり、とても楽しみになりました。ベルリンの壁については、歴史の授業で何度も勉強したところだったので、実際に行って、見て、触れることができるという点においてとても気持ちが高まりました。世界史を勉強するにあたって、私がいつも思う問題とは、その歴史的建築物や場所を実際に見ることが非常に難しいということです。百聞は一見にしかずということわざがあるように、教科書で読んだり授業で聞いたりするよりも、実際に見て触れたほうが絶対に良いと私は考えます。だから今回、ベルリンの壁だけではなく、第二次世界大戦の被害を多く受けたドイツに足を運ぶことができて、本当に嬉しく思います。

フリーザー家のみなさんは私を大いに歓迎してくださりました。少し緊張していたけれど、家族のみなさんのおかげで緊張はすぐにほぐれ、すぐになじむことができました。

いつもお風呂につかっている私にとってシャワーの時間はとても大変でした。立ちながら体を洗うのが難しくて、床をびしょびしょに濡らしてしまいました。だんだん慣れてきて最後のほうにはマスターできてよかったです。

朝、昼、夜のご飯はとてもおいしかったです!ただ2週間目はお米が恋しくて仕方なかったです。やっぱり自分は日本人だなあと感じました。

ドイツでは数え切れないほどの思い出がありますが、一番自分に衝撃を与えてくれたのはやはり2泊3日で行ったベルリンです。ベルリンはすべてが衝撃でした。戦争についてあまり深く考えたことのない私でしたが、これをきっかけにとても戦争について考えるようになりました。ホストファミリーのレギーナに戦争について質問するといつも的確な答えをくれました。自分も広島の原爆などについてももっともっと勉強して自分の国の戦争事情をちゃんと説明できるようになりたいと思いました。自分の国がなにをしたのか、また何をされたのか、それをちゃんと自分で理解していないことをとても恥ずかしく思いました。

壁はとても高く、頑丈でした。上が丸くなっていて人間が上りにくくなっていたり、見張りがあったり、本当に壁をみた瞬間ぞっとしました。この壁をはさんで対立が起こっていたのだと思うと恐ろしくてしょうがありませんでした。人を殺すことが軽々しく行われていた時代、想像するだけで震えが止まりませんでした。

「あそこにライトがあって、あれで逃亡者を照らして、上の監視場所から狙撃して…」
耳をふさぎたくなるような話を沢山聞きました。
戦争だけでなく、ベルリンにはたくさんの政治的建造物もあり、とても興味深かったです。
日本の国会議事堂にすら入ったことがなかったのに、ドイツの国会議事堂に入れたので嬉しかったです。作りも巧妙で手を抜いていないというか、本当に綺麗で立派な建物でした。中のつくりもきれいで、面白かったです。国会議事堂の目の前の緑の芝生のところはとても気持ちよさそうでした。いつか大人になったら、そこでゆったりしたいと思いました。
ベルリン中央駅や、ブランデンブルク門、とにかく規模が大きいと思いました。

今回のドイツ研修で、たくさんの人と出会い、たくさんの物に触れ、たくさんのことを学び、自分を見直す機会になりました。これからもずっとこの出会いやドイツで学んだことを大切にしていきたいと思いました。思い出だけで終わらせるのではなく、これからに繋げていけたらいいなと私は考えます。だから、私のドイツ派遣はまだ終わっていません。一生続かせていきます。

関わったすべての人たちに感謝をして、自分を更に磨いて、またドイツに行けたらいいなと思います。

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2011年ドイツ派遣団員感想文⑦

水谷七海(高校1年)

7/31
ドイツの空港についても、周りには日本人ばかり。なんだか実感が湧かなかった。
ニュルンベルクに着くと電車の窓からドイツのみんなが見えた。一番前にAlinaがいてすぐにわかることができた。まず、少し安心した。会うともう言葉とかそういう状況ではなくて、お父さんとお母さんの大きな手と握手して「ドイツに来た。この家にお世話になるんだ。」と楽しみとともにまだ不安もたくさんあった。その時ドリスと再会した。ハグしたらすごく安心して思わず涙が出そうになった。不安もあったけど、知ってる人がいるってとても心強いことだと思った。車で連れられてWelcome party の場所まで行った。車の窓から見える景色はもう日本ではなくて建物一つ一つがオシャレだった。
ごはんは…おいしかった。:)こんなにおいしいものがこれから毎日食べられるのかと思うととても楽しみになった。
家について私がこれから泊まる部屋など案内してもらった。家はとても大きかった。
お土産を渡すとすごく喜んでくれてうれしかった。Alinaに浴衣を渡すとすぐに着てくれて…着付けをすると喜んでくれた。
8/1
朝食からオシャレだった。
電車で集合場所まで行くと、そこは古い街並みだった。日本で町の中心地っていうとビルが並んでいて、新しくて…というイメージだけど、ニュルンベルクは古い街並みできれいだった。
市役所ではニュルンベルクのバックがもらえたことが嬉しかった。
ニュルンベルクシティラリーでは、まず、昼食。Alinaとピザを半分にして食べた。だいたい7€でピザが買えてびっくりだった。とてもおいしかった。それからはついて行くしかできなかったけれど、使った機械がすごいことは分かった。自分の足で周りを見ながら回ることができて楽しかった。終わってもどり、目の前のおみやげ屋さんでおみやげを買った。みんなでアイスを食べて、家に帰った。帰ってからは時間があったのでAlinaとたくさん話せた。学校のことや好きな事…いろいろと知ることができた。Alinaとの距離が縮まった気がして嬉しかった。
晩御飯はタンブリンと牛肉で野菜を包んだやつと紫キャベツを煮たのが出た。みんな食べるのがうまくて、食べ終わったときにお皿に汁が全く残っていなかった。
私が食べるとソースが残ってしまう。一皿の中で食べるのって難しい…と思った。
8/2
朝食の後、車で集合場所まで送ってもらった。ニュルンベルクの青少年と一緒にドイツ料理です。まずは、スーパーまで買い出しへ行くとそこではきゅうりなど…何から何まで大きくて、メモを見てAlinaに連れられて行くと「えっこれ!?」という感じだった。料理は…はい。家できちんとやろうと思いました。ドイツのみんなは出来ない人がいない!!今まで家の料理は妹に任せていたので最近馬鹿にされるのですが、気にしていませんでした。しかし、今回は自分が料理ができないことを恥ずかしく思いました。
みんなで作ったご飯はおいしかったです!!!
路面電車でスポーツクラブへ移動し着替えると、部屋にたくさんのトロフィーとメダルがあったAlinaはやる気満々でmyラケットを出し始めた。これは、やばいと思いました…笑
はじめにみんなでやったゲームでドイツのみんなに圧倒されて…思いっきりやっているドイツのみんなは楽しそうだった。
スポーツクラブのサッカー場にあるバーベキュー会場へ移動すると、芝生の上を歩いているとAlinaが「靴嫌い」とかいって脱ぎ始めて、裸足で歩いていた。自然だな…と思った。バーベキューを待っている間、自然にサッカーが始まる、体を動かそうとするドイツのみんなを見ていて、普段の自分にはこういうことはないな…っと思った。
8/3
朝、奇跡的に目が覚めた。バスでベルリンに向かう間はAlinaとボードゲームをたくさんした。学校に持っていくかばんの中にたくさんのゲームが入っているAlinaはとても強かった。そういうところから柔らかい頭が生まれるのだと思った。歴史の授業の中で出てくるアウトバーンだけど、通ってみるとただ真っ直ぐな広い道でアウトバーンという実感がない。もっと、特別なものかと思ったら普通すぎてびっくりした。途中寄ったパーキングエリアは、とてもオシャレだった。日本のパーキングはいかにも止まって必要なもの買って行ってくださーい…というか余裕がないと思った。国会議員さんとのランチミーティングがなくなったのは、せっかくスピーチを考えていただけに少し残念だった。国会は外から見るととても歴史的で、国会議事堂の前で遊べるというオープンな雰囲気にびっくりだった。国会議員会館の中で昼食のときにお米が出てきて、日本のお米が恋しくになった。やっぱり、日本のごはんはおいしい。。
国会議事堂の説明をしてくださった方は問題に正解するとアメをプレゼントしてくれたり、面白い人だった。後からすごい人だとわかってびっくり!!そんな人と一緒に写真撮れたなんて…。
ベルリンのホテルの部屋はAlinaとシャニーヌと3人だった。日本人が1人でびっくりしたけど、だからこそ英語を使って話そうとできたし、よかったと思った。
8/4
朝食後出発。市内見学はすごく詳しくて、初めは気合い入れてメモとか取ってたけど途中から寝てしまった。せっかくの機会を寝てしまったことに反省。
午後に行った世界遺産の博物館の中の一つの博物館を見学した。古代遺跡だと理解したけれど、正直よくわからなかった。かほといっちゃんと日本人だけで回ってしまったし、だからといってドイツの人と回っても難しくてわかんないと思った。ある程度勉強してからでないとわかんないと思った。
その後のフリータイムは、ソニーセンターで夕食。その後、チョコレート博物館やおみやげ屋にいった。同じ世代なのに、レギーナのリーダーシップがすごいと思った。
その日の夜は、みんなで話をしたけど疲れていてそんなには起きていられなかった。
8/5
ベルリンの壁の博物館ではすごく丁寧で詳しい説明をしてくれた。ただ残念なことは、質問が浮かばなかったこと。質問ありますかって言われるとドイツ側からは出るのに初めて行った日本側から出ないというのが残念だったと思う。
帰りのバスでは途中、お父さんはベルリンで開催されるニュルンベルクのサッカーの試合へ。帰りのバスの中でベルリーナ(?というドーナツはとーーーっても甘かった。ベルリンから帰るとお母さんが迎えてくれてうれしかった。
8/6
午前中のロッククライミングは思ったよりできたけど、本気でガニ股を直そうと思いました。ゲームは楽しかった。そのあとフリータイムがあって、その時もやっぱりレギーナのリーダーシップを発揮してゲームを提案してみんな楽しむことができた。このリーダーシップは、すごいと思うし見習うべき姿勢だと思った。
その後は、マークの家に行ってサッカー観戦!!初めての分ですリーグの試合。お父さんがめっちゃイケメンだった。みんなで食べて、鶴おって、肝心の試合は審判にボールが当たったところが一番盛り上がった…笑
ニュルンベルクが勝ったのに…。楽しみにしていたオープンエアーコンサートは、家が遠かったので少しだけ見た。あとでギネスに載ったこととか聞いてまた絶対来たいと思った。
8/7
今日はホストファミリーデー。お昼頃にお父さんがベルリンから帰ってくることになっていたのでそれまで家でお話をしていた。お昼はレストランへ食べに行った。おいしかった。レストランでAlinaと一緒にナプキンで鶴を作った。お父さんがお店の人に「いつかお店のナプキンがこうやって出てくることを願うよ」って冗談で言っていた。こうして、日本の文化がたくさんの人に見てもらえるって嬉しいことだと思った。その後はお祭りに行った。そこでは職人さんみたいな人が昔の格好をして物を売っていた。玉乗りや綱渡りなど体験できる場所もあって小さい子と一緒になって遊んだ。また、そこであるお店の人に原発のことについて聞かれて、出来る限り答えて、いろいろ話をした。お店の人が突然私にネックレスをプレゼントしてくれた。それは願い事を想い浮かべると叶うというもので「これはあなたのためだけじゃなくて、あなたの国のためにだよ」と言ってくれた。すごくうれしかった。初めて会った人に心配してもらって、温かさを感じた。また、私たちを知らない人でさえこんなに心配してくださって、私たちを知っているドリスたちの心配はどれ程のものであったのかと考えると感謝しなければならないと思った。
お祭りでは亥君家にあった。その後は、いくつかのビアガーデンをまわった。
8/8
午前中のプログラムで地下鉄に関するものが中心だったけれど思ったよりおもしろかった。自分たちだけの特別列車が走って、小出さんが運転して、こんなに特別扱いもびっくり。それと路面電車の車庫のあった博物館の特に模型が細かいところまで作ってあって面白かった。
また、古い路面電車を貸し切って乗れたこともとても楽しかった古い車両で全てが木でびっくりした。浄水場は広かった!!
その後、スーパーに連れて行ってもらってお菓子を大量に買った。ハリボの安さにびっくりした。
その日はAkinaのおばあちゃんとおばさんが来る予定でみんなごはんを作った。
二人とも(特におばさん)とても楽しい人だった。
8/9
自分達で作ったパンはおいしかった。プールはしょっぱくて、ビックリ。それに、ドイツ人の足の細さにも驚いた。
その後Alinaとお土産を買いに行った。まず二日目に言った場所にニュルンベルクバックを買いに行って、ショッピングセンターに買物に行った。パパにお土産に頼まれていたハムとチーズを買いに行ったのだけど、普段買い物をよくしないから何gずつ買えばいいのかわからなくて全部200gずつとか言ったら店員さんが苦笑いだった。
8/10
朝の評論会では、全然意見が言えなかった。もっと英語が話せるようになりたいと思った。
そのなかで、みんなでやっていてドイツ人はやっぱ遠慮がなくてはっきりしていてかっこいいなあと思った。聖母教会では特別にバルコニーへ登れて、speechの場所に行けたり貴重な体験ができたからすごく良かったと思う。
家に帰って、ママに頼まれていたタンブリンの作り方を教わった。
さよならパーティは楽しかった。スピーチもちゃんと出来たしよかったと思う。
でもみんなでポロシャツに寄せ書きし始めたくらいから「ああ…帰るんだな」と思って悲しくなった。
8/11
…寝坊した。帰りたくない。
駅に着いてからは時間が経つのが早かった。あっという間に駅のホームへ。初めてこの駅に着いた時の不安ではなく、そばにみんなのいる安心感があった。
別れの時さみしくて泣いたけれど、なぜか「また会えるし」という自信があった。
というのも、今はFacebookとかmailもあるしいつでも連絡が取れるし、お父さんはまたドイツに来るときは言ってねって言ってくれるし…。

今はalinaやみんなとfacebookで連絡取っています。もっともっと勉強してみんなといろいろな事を話せるようになりたいです。また、私の将来の夢のためにはドイツ語も必要で、いつか今度は通訳として指導者として来られるようになりたいです。
また、今回改めて感じた私の普段の暮らしで足りないこと。料理、体を動かすこと、言語。私はドイツに行って普段は出来ない貴重な体験ができたのだから、自分でこれからの生活を変えていきたいと思いました。また、今回出会った人々とのつながりをこれから大切にしていきたいと思いました。
このプログラムに携わったすべての人達に感謝しています。ありがとうございました。

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2011年ドイツ派遣団員感想文⑥

高1 丸茂いつ実

「やっと行ける‥‥」今まで4回受け入れをしてきて「いつか絶対行くから。」と約束してきました。ついに初めての海外。想像もつきませんでした。ドイツに着くとそこは別世界。景色がきれい。人々がかっこいい。食べ物はおいしい。
 そしてホストファミリーのサラ家に笑顔で歓迎されて不安だった気持ちがすぐに飛んでいき、なぜか自信が湧いてきました。話せなくてもやっていける自信(笑)そう思うと、ますます楽しみになっていきました。
 また、プログラムも盛りだくさんで普通の観光客ができない体験がたくさんできました。なかでもドイツの新聞に大きく写真が載ったことは一生の思い出になりました!
 サラはいつも笑顔で話しかけてくれました。しかも気が利いて、私が困っている顔をしているとすぐ「どうしたの?」と聞いてくれます。サラは本当に私のお姉ちゃんみたいでした。しっかりしているけど、一緒にふざけてくれるお姉ちゃん。「今日の服かわいいね」など話が合うお姉ちゃん。また、サラのおじいちゃん、おばあちゃんも本当に優しくて温かくて、ベルリンに泊まりに行ったとき二人がいなくて私は寂しかったのをよく覚えています。帰ってきたときもまだ三日しか生活していないのに自分の家のように落ち着きました。
 今回ドイツに初めて行って、ドイツという国そのものが温かい国だなと実感しました。ドイツのメンバーもそうだし、町を歩いている知らない人さえも、目が合うとほほ笑んでくれます。また、「ありがとう」という言葉が家でも店でも多く飛び交っていて「すてきな国だな~」と何度も思いました。
 私が一番心配していた『言葉の壁』もまったくとは言えないが、大丈夫でした。わかろうとすれば、お互い何が言いたいかが理解できました。コミュニケーションってこういうことなのだな、と改めて思いました。また、今回自分の目標であった『何でもチャレンジすること』が達成できてよかったです。体全体でドイツを楽しむことができました。
 最後に私をドイツへ連れていってくれた小出さん、千佳ちゃん。一緒に行った日本のメンバー。受け入れをしてくれたドイツのメンバー。そしてお金を出してくれた両親。本当にありがとうございました。ドイツへ行って自分の可能性を見つけ、成長できたと思います。
 また、今年は震災があり、国境を越えて心配してくれる仲間がいることが本当に幸せだな、と感じました。
 そんな私の自慢は、日本を越えてドイツにいつでも泊めてくれる家があり、家族がいることです。  サラ家、大好き!! ニュルンベルク市大好き!!

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